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2018.07.11 (Wed)

第201回 橋幸夫と「つけそば」

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▲昭和26年創業「中野大正軒」

 記憶に残っているかぎり、わたしが生まれて初めて食べたラーメンは、「中野大勝軒」の、「つけそば」だった。昭和30年代後半のことである。よく、父に連れられていった。
 太い麺と、堅めの短冊チャーシューが特徴で、こども心にも、うまい食べ物があるもんだなあ、と思った(いまのチャーシューはかなり柔らかくなっている)。
 当時の名称は「もりそば」だったような気がするが、とにかく初めて食べたラーメンが「つけそば」だったから、わたしは、しばらく、「ラーメン」とは、ああいう食べ物なのだと思っていた。
 いまでも月に1~2回は食べているが、ここのつけそばを食べるたびに、橋幸夫を思い出す。

 昭和26年に開店した「中野大勝軒」は、かつては、現在地(中野駅南口)ではなく、さらに南の橋場町(いまの中央5丁目あたり。劇画のさいとう・プロダクションの近く)にあった。
 わたしは、歴史的なことは詳しくないのだが、とにかく、この「中野大勝軒」が、つけそば発祥の店ということになっている。当初は従業員の賄い食だったらしい。ここから独立したのが、有名な「東池袋大勝軒」の山岸一雄さん(1934~2015)だという。
 カウンターで5~6人も座れば満席になってしまうような、木造バラックの、小さな店だった。『仁義なき戦い』や『飢餓海峡』といった、終戦直後の闇市が登場する映画に、よく、カウンターで数人しか座れない、小屋みたいな呑み屋が出てくるが、まさに、ああいう雰囲気の店だった。しかも、いつも店の前に数人の客がならんでいた。

 当時、中野公会堂(現「なかのZERO」)がすぐそばにあって、ここで、宝くじの抽選会がよく開催されていた。おそらく、東京都が発売する、小規模なブロック宝くじだったと思う。この抽選会がまことに豪華で、後半は、芸能人のワンマン・ショーなのである。それも、必ず地元「中野」に縁のある芸能人が登場した。たとえば、三波春夫(江古田に豪邸があった)、北島三郎(新井町「北島音楽事務所」ビル。八王子に豪邸を建てる前はここが自宅だった。転居の際、税収減を恐れた区長が引きとめたとの伝説がある)など。無料の入場券が、近隣の銭湯の番台に置いてあったので、小学校時代、いつも何枚かもらって、友人と行っていた。
 中でも忘れられないのが、橋幸夫のショーだった。彼の実家は、中野の新井薬師近くの呉服店だった(長兄が池袋で経営していた洋品店を中野に移転し、呉服屋に転業した)。
 当時の橋幸夫は、すでに《いつでも夢を》《霧氷》で2回、日本レコード大賞を受賞している大スターだった。そんな芸能人を目の前で見られるとあって、わたしは、鳥肉屋の青木クン、塗装屋の池田クンの3人で、興奮気味で出かけて行った。小学校4~5年生のころだった。
 橋幸夫は実に気さくなひとで、登場するや「中野のみなさん、○○呉服店がお世話になっております!」とあいさつし、客席を大笑いと拍手の渦に巻き込んだ。そして、《潮来笠》をはじめとするヒット曲を次々うたった。カッコよかった。わたしたちは、うっとりして聴き惚れていた。

 そして、曲間のおしゃべりである。
 橋幸夫が「ボクもそろそろ結婚したいんですけど、中野に、いいひといませんかねえ」と言った。すると、わたしの隣りのオバサンが大声で「金(きん)の草鞋(わらじ)履いて探すの~?」と返し、またまた客席は大爆笑になった。橋幸夫は「まったく、そうだといいんですけどねえ」と笑っていた。
 わたしは(もちろん、青木クンも池田クンも)、意味がわからなかった。
 客席のたったひとりのオバサンと、ステージ上の橋幸夫が「会話」しているのも驚いたが、なぜ、みんな大笑いしたのか、それにも驚かされた。
 金(きん)の草鞋を履いて嫁さんを探す……とは、どういうことなのだろう。

 わたしたちは、終演後、すぐそばの「中野大勝軒」へ行った。
 子どもだけで入ったのは、このときが初めてだった。もちろん、おなじみの「つけそば」を注文した(と思う)。
 橋幸夫をナマで見て聴いた、その興奮もさめやらず、「あのオバサンが言っていた“金(きん)の草鞋を履いて探す”って、どういう意味なんだろうな」とブツブツ話していた。
 すると、カウンター内で調理していたオヤジさんが、それを聞きつけ、教えてくれた。
「“きん”じゃねえよ、“かね”。“年上の女房は金(かね)の草鞋を履いて探せ”ってことわざだよ。年上の女は物知りだから頼りになる、だから、すぐに擦り減らない金属製の草鞋を履いて、時間をかけて探せ、って意味だよ」
 もちろん、こんなにスラスラとしゃべったわけではないが、要するに、そういう意味のことを教えてくれたのである。
 わたしは、びっくりしてしまった。
 まず第一に、ヨレヨレの調理白衣を着てラーメンをつくっている「中野大勝軒」のオヤジさんが、なかなかの物知りだったこと(しかも、漢字の読み間違いまで指摘!)。
 次に、そんな深い意味があることわざを用いて、客席とステージ上で、まるで大喜利みたいな掛け合いが平然と行われていたこと(おとなになってみれば、どうってことないのだが、当時は、実に含蓄あることわざだと思っていた)。
 こういうのを「教養」と呼ぶのは大げさかもしれないが、むかしは、この程度の教養は、町中に当たり前のようにあふれていたのである。

 中野駅南口のビルの1階に移転した「中野大勝軒」は、一日中ほぼ満席の活気あふれる店である。ここで、50年以上食べている「つけそば」をすすると、あの橋幸夫とオバサンのやりとりを思い出す。ことわざを教えてくれた、あのオヤジさんのことも……(たぶん、初代の坂口正安さんだと思う)。
 いま、カウンターの向こうには、揃いのTシャツを着た数人の店員さんがいるが、何人かは中国人のようである。
 ちなみに、橋幸夫は、その後すぐ、スチュワーデスの女性と結婚した。年上ではなかったと思うが、おしどり夫婦として有名だった。一時は『別れなかった理由~夫婦の絆を求めて』なんて本も共著で上梓していたが、昨年、熟年離婚していたことが報じられた。
<一部敬称略>

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