2018.09.19 (Wed)
第209回 他人に見せちゃいけない顔

▲表情を変えない、文楽の人形づかい/桐竹勘十郎・吉田玉女(現・玉男)『文楽へようこそ』(小学館)
文楽へ行くたびに、人形づかいは、よくあれだけの肉体労働をしていながら、無表情でいられるものだと感心する。
作詞家の阿久悠さん(1937~2007)は、かつてウェブサイトで「ニュース詩」を発表していた。その中に『金の年』と題する詩がある。こんな冒頭部だ。
「あるとき 父親に云われた/人間には/他人に見せちゃいけない顔が/五つある
飯をかっ喰う顔/便所で力みかえる顔/嫉妬で鬼になった顔/性に我を忘れる顔
そして もう一つ/金の亡者になった顔」
(『ただ時の過ぎゆかぬように 僕のニュース詩』より/岩波書店、2003年)
これは、2000年暮れ、「今年を表す漢字一字」として《金》が選出されたとのニュースを題材に書かれた詩である。
わたしは子供のころ、似たようなことを、明治生まれの祖母に言われた記憶がある。
「食事しているところと、用を足しているところは、ひとに見せるもんじゃないよ。“入り”と“出”は、同じようなもんだからね」
トイレはわからないでもないが、食事は、ひとと向かい合って会話しながらすることもある。それを見せるなとは無理な話だが、要は、ひとまえで大口をあけて飲み食いするのは失礼だとの戒めであろう。
ところがいまや、飲食店は、ガラス張りで内部丸見えの店ばかりである。中には、わざわざ表通り沿いにガラス張りのカウンターをもうけて、道行くひとたちに見られながら食事する店もある。
たとえば、神保町の老舗、東京堂書店の1階カフェがそうだ。カウンター下に「今週のベストセラー」が並んでいるので、往来からそれを眺めていると、食事中の女性客など、スカートの中をのぞかれていると思うのか、ときどき睨まれたりする。
我が家の近所にも、道に面した、本来「壁」のはずの部分が全面ガラス張りで、店内全容がまる見えの飲食店が、いくつかある。誰が、何人連れで、なにを食べているか、すべてまる見えである。ちなみに昨夜は、ご近所のA氏が、ガラス張り丸見えの居酒屋で、ひとりで本を読みながらウーロンハイを片手にシイタケの串焼きを食べていた。
むかしは、飲食店の店内は、外からチラリと覗くものであった。だから入口には「のれん」がかかっていた。入口ガラス戸は、下が曇りガラスで、上部が透き通っていた。のれんをちょいと上げれば、店内の様子を見わたせた。
だがいまは、客が店内を見るのではなく、店側が、無理やり店内全容を外部に見せている。繁盛ぶりを見せたいのか、あるいは「店内=エンタテインメント」と主張しているのか知らないが、よくああいう環境で、ひとに見られながら呑み食いができるものだと思う。電車内で平気で化粧をする、あの精神に通ずるものがあるような気がしてならない。
昨今のニュースは、「他人に見せちゃいけない顔」であふれかえっている。激昂するテニス選手、品のない政治家、データ改ざんする企業トップ、媚びる女子アナ――こうなると、もはやガラス張りの店で「飯をかっ喰う顔」くらい、どうってことないというわけか。少しは文楽の人形づかいを見習うわけには、いかんのか。
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