2018.10.05 (Fri)
第210回 ハンガリーの国民詩人

▲アディ・エンドレ『新詩集』(原田清美訳・解説/未知谷)
2006年刊だが、アディに関するもっとも新しい邦訳詩集で、解説も充実した、アディ入門に最適の一冊。
今年は、ハンガリーが、ハプスブルク家の支配(オーストリア=ハンガリー二重帝国)から独立してから100年目にあたる。
ハンガリーの作曲家といえば、古くはリスト、レハール、ドップラー、そしてコダーイ、バルトーク、さらには本コラムでも最近とりあげたリゲティなど、個性的なひとびとがそろっている。吹奏楽の世界では、レハール《メリー・ウィドウ》、バルトーク《中国の不思議な役人》、コダーイ《ハンガリー民謡「くじゃくは舞い下りた」による変奏曲》の3曲が特に有名だ。
《くじゃく》は、1939年に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現「ロイヤル・コンセルトヘボウ」)の創立50周年を記念して委嘱された。曲名どおり、ハンガリー民謡「くじゃくは舞い下りた」の主題にもとづき(日本では「くじゃくは飛んだ」の訳が多い)、主題+16変奏+終曲で構成されている。
原曲となった古い民謡は、「孔雀が舞い下りる 公会堂に、/多くの義賊たちを解放するために」という歌詞で、これは、大昔、オスマン帝国の支配に対する農民の抵抗をうたったものらしい(くじゃくは、ハンガリーの国鳥で、革命と平和の象徴)。コダーイとしては、作曲当時、勢力を増していたナチスドイツへの抵抗の意味も込めていた。
この民謡の歌詞は、ハンガリーのひとびとにとっては、一種の国民詩である。実は、民謡の歌詞をもとに、さらにはっきりした抵抗の詩に昇格させた詩人がいるのだ。ハンガリーの国民詩人、アディ・エンドレ(1877~1919)である。その詩の題名は同じ「孔雀は舞い下りた」だが、アディは、そこへ呼びかけのような詩句を加えた。
あたらしい風が、旧(ふる)いハンガリーの樹を唸らせている。
私たちはすでに待ちわびていたのだ あたらしいハンガリーの奇蹟を
あたらしい炎(ほむら)よ、あたらしい信仰よ、あたらしい鍛冶屋よ、おまえは燃えつづけてくれるだろうか。
コダーイは、1936年に、このアディの詩を、民謡原曲のニュアンスも取り入れながら、男声合唱曲にしている。男声合唱団の経験のある方だったら、有名曲だから、ご存知だろう。この旋律をもとに、3年後、上述の変奏曲を書いたのである。
ちなみに、アディには、こんな詩がある。
ひとり海辺で
海辺、たそがれ、ホテルの小部屋。
あのひとは行ってしまった、もう会うことはない。
あのひとは行ってしまった、もう会うことはない。
(略)
あたりにただようあのひとの残り香。
波の音がきこえる、心なき海のたのしげなその歌。
波の音がきこえる、心なき海のたのしげなその歌。
(略)
はるかにまたたく燈台のひかり。
いざ来たれ、いざ来たれ、海の歌声はくりかえし呼ぶ。
いざ来たれ、いざ来たれ、海の歌声はくりかえし呼ぶ。
(後略)
さすがに訴訟沙汰になったが、その後、たしか、和解したと思う。
ちなみに原詩は、1907年刊行の詩集『血と金』に収録されていた。
<敬称略>
※文中の詩は、すべて『アディ・エンドレ詩集』(徳永康元・池田雅之 共訳・編/恒文社、1977年刊)より引用しました。
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