2016.01.05 (Tue)
第140回 新刊『氷菓とカンタータ』財部鳥子

昨年の詩壇では、吉野弘や長田弘らベテランの訃報が続き、関連出版も相次いだ。
84歳になる谷川俊太郎の新刊、生誕100年・石原吉郎の研究評論本も複数出た。
これほど、書店の「詩」の棚が賑わった時季はなかったのではないか。
昨年、強烈な印象を覚えた詩集は、10月刊行、財部鳥子(たからべ・とりこ 1933~)の『氷菓とカンタータ』(書肆山田)だった。
中でも、25頁にわたって展開する長編詩「大江のゆくえ――フランクのソナタ・イ長調から」が圧巻だった。
作者「衰耄する女詩人」は、燕都(北京)で福島第一原発事故を知った。
餐庁(大食堂)のテレビを見ながら「世界はもうここから引き返せないのだ」と思うと、「涙が零れてならなかった」。
そして、幼少期を過ごした満州の記憶がよみがえり、フランク作曲の≪ピアノとヴァイオリンのためのソナタ≫イ長調、全4楽章に乗せて、4部で構成された大河のような幻想詩が、ゆったりと奏でられ始める。
<1 第一楽章のモチーフ>で、「衰耄する女詩人」は、大江(揚子江)のほとりで「国破れた山河で髪を刈られた/女の子の少年姿」を見る。
それはかつての自分自身の姿である。
フランク曲の第1楽章は、8分の9拍子で、滔々と流れるイ長調だ(ピアノに重要主題が与えられている)。
詩に登場する「老爺」と「少年」の会話は、ヴァイオリンとピアノの対話を思わせる。
<2 水死人>では、大江を「親の愛から遠のいた行倒れ」(水死人)が流れてくる。
その耳からは「白い花のように蛆虫がこぼれ出ている」。
第2楽章は、ピアノが不安げな16分音符を奏で、ヴァイオリンが必死で食らいつく。
ヴァイオリンは「水死人」かもしれない。
<3 凍る>で、マローズ(凍結期)を迎えた大江は、いっせいに凍りつく。
「涙も希望も凍結して動かない」「少年は級友のタナカと凍江を徒歩でわたって行く」
第3楽章はレチタティーヴォ‐ファンタジア(叙唱・幻想曲)だ。
詩も、切れ目のない叙唱のように改行せず、文字で埋まった紙面が緊張感を伝える。
氷の下には水死人が埋まっている。
「雪のウェハースを突き崩すとその下から頭蓋骨が現れた」「タナカは眼窩に棒を差し込む」
後半、詩は再び改行が多くなり(転調のよう)、「演奏家のまうしろの椅子に坐った衰耄する女詩人は/静かな楽曲に吸い込まれる」。
「閉ざした屋内のペーチカに薪は燃えさかり/やがて一握の灰になり 少年の髪も灰色になり」
有名な第4楽章は、イ長調にもどり、輝かしいフィナーレである。
詩は<4 復活>と題されている。
「極寒を生き延びた喜びに/大江の轟音に巻き込まれたくて少年は江岸へ走る/あの 春の湯気!」
財部作品を理解するには、いくつかのキイワードが必要だ。
まず、彼女が幼少期を過ごした「満州」。
そして「死」。
満州で失った妹さん(初期詩集『わたしが子供だったころ』『腐蝕と凍結』)、1972年の日航機ニューデリー墜落事故で亡くなった弟さん(詩集『西游記』)……詩人の身の回りには「先に逝く者」の記憶が、常につきまとう。
これらをモチーフに、財部鳥子は、時間を自由に超越し、戦争や生命の記憶を現代とリンクさせる。
今回、満州の記憶は、福島第一原発事故に重なる。
だが、詩には、「福島」も「放射能」も、一切登場しない。
すべては記憶の触媒たる、フランクのソナタに託されている。
その迫力たるや!
これは楽曲にとっても、実に幸せなことだったと思うのだが、同時に、不安も覚えた。
今後、戦争の記憶を持つ詩人が、この世からすべて去ったとき、音楽は、新たに、どんな役割を負わされるのだろう。
財部鳥子が83歳で挑んだ長編詩は、そこに潜む微かな危うさを教えてくれているような気さえ、するのだが。
(敬称略)
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