2016.01.09 (Sat)
第141回 ブーレーズ逝去

▲ベルク≪室内協奏曲≫他(BBC交響楽団、1967年録音)
「指揮者」ブーレーズが初めてジャケットに顔をさらした米コロムビアLP
(写真:ドン・ハーンスタイン)
ピエール・ブーレーズが亡くなった。
作曲家としては、ジョン・ケージなどの「チャンス・オペレーション」に対し、前衛ながら、作曲者の意図を演奏で再現させる「管理された偶然」を提唱した。
有名な≪ピアノ・ソナタ第2番≫は、1970年代に入って、ポリーニの録音や来日公演で一般リスナーにも広まったが、1948年の作曲である。
つまり終戦3年目に、あのような曲を書いて既成概念を破壊しようとしていたわけで、その先鋭ぶりには、頭が下がる。
一般紙の社会面では簡単に触れられたのみだったが、1977年、ポンピドゥー・センターの一部にIRCOM(フランス国立音響音楽研究所)を設立させ、世界最大の「音楽科学」研究組織に育てたことも業績の一つだ。
だがやはり、日本では「指揮者」としてのほうが有名だろう。
特に1970年代、コロムビアから続々と出た、ストラヴィンスキーやドビュッシー、ワーグナーがいかに新鮮だったことか。
そして……もう一つ、忘れてはならないことがある。
それは、ブーレーズの演奏が、コロムビアのスタッフを刺激し、ジャケット・アートに飛躍的な広がりをもたらした点だ。
その嚆矢は、1966年録音、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を振った、ドビュッシー作品集だった。

ジャケットには、葛飾北斎の『富嶽三十六景』~「神奈川沖浪裏」が、1枚だけ、ドンと掲載されていた。
ドビュッシーは、自ら所有していたこの浮世絵から、交響詩≪海≫の着想を得たといわれている(出版スコアの初版にも、この浮世絵が印刷されていた)。
だから自然なデザインではあるのだが、それでも1960年代に、海外で発売されたフランス印象派のLPジャケットに、日本の浮世絵が登場したのは意外だった。
このLPは演奏も画期的で、当時、モヤモヤした雰囲気こそがドビュッシー的と思われていた時期に、すべてのパートが透けて見えるような鮮明さに、世界中が驚いたものだった。
巨大な波が砕ける一瞬を、ストップモーションで鮮明に写し取った北斎のワザを、そのまま音楽に移し替えたかのようだった。
このジャケットを眺めつつ、ブーレーズの演奏を聴いて「ドビュッシーが狙ったのは、こういうことだったのか」と思ったリスナーも多かったのではないか。
これ以前、ブーレーズはコロムビアで2作をリリースしている。
それはベルクの歌劇≪ヴォツェック≫全曲、メシアン≪われ死者の復活を待ち望む≫で、一般の音楽ファンには少々ヘビーだった。
「いかにも現代作曲家らしい選曲だなあ」と思っていたら、次がドビュッシー!
しかも新鮮な演奏!
まさに「指揮者」ブーレーズの名は、この1枚で、一般の音楽ファンに強烈な印象を残したのである。
(このジャケット・アートは、のちに、ずっとモダンなデザインに変更され、北斎画の味わいは薄まってしまった)
吹奏楽コンクールで≪海≫を全国大会初演したのは、1975年の玉川学園高等部である。
あれが、ほぼ、日本における吹奏楽ドビュッシーの第1号だった。
弦楽器あればこその「モヤモヤ音楽」を、管打楽器のみの「吹奏楽」でやっても、なかなかいいものだと、驚いた記憶がある。
≪海≫を吹奏楽でやるなんて突拍子もないアイディアは、上記ブーレーズのLPがきっかけだったのではないかと、私は密かに想像しているのだが(もっとも、ギャルドがすでにやっていたかもしれない)。
そして、次の第4作目、ベルリオーズ≪幻想交響曲≫(ロンドン交響楽団、1967年録音)のジャケットを、あるデザイナーが手がける。

コロムビアの専属デザイナー、ジョン・バーグ(1932~2015)である(それ以前の3枚のデザイナーはクレジットされていないが、これもバーグの可能性はある)。
彼は、贋作画家ケン・ペレニーを起用した(まだこの頃は「贋作画家」ではなかった?)。
ジョン・バーグは、グラミー賞のアルバム・カバー賞を4回受賞している名デザイナーだ(「ザ・バーブラ・ストライサンド・アルバム」1964、「ボブ・ディラン・グレイティスト・ヒッツ」1968、セロニアス・モンク「アンダーグラウンド」1969、「シカゴⅩ」1977)。
彼は、最終的に、コロムビアの副社長にまで登りつめた。
デザイン部門からは異例の出世である。
LPレコードは、コロムビアが開発したメディアであるだけに、同社がデザインをいかに重視していたかがわかる。
(ちなみに、続く第5作は《幻想》の続編《レリオ》。さすがブーレーズ!)
ジョン・バーグがコロムビアで活躍したのは、1961年から85年まで。
まさにブーレーズが、指揮者として注目を浴び始めた時期にピッタリ重なった。
以後、この2人は、いくつかの名盤を手がけることになる。
おそらくバーグは、次々と届くブーレーズの新鮮な演奏を、ワクワクしながら聴いただろう。
そして、彼が生み出す新しい響きを、どうやって多くの人々に「ヴィジュアル」で伝えようかと、毎回、手ぐすねを引いて待ち構えていたにちがいない。
それは、音とデザインの幸福な出会いであり、対決でもあった。
ブーレーズ=バーグの最高傑作は、これだと思う。

ストラヴィンスキーの≪ペトルーシュカ≫全曲(ニューヨーク・フィルハーモニック、1971年録音)。
無機質な金属活字が、本来ありえない文字表記で並んでいる。
活字は「ハンコ」なのだから、「裏焼き」になっていなければおかしい。
この活字で印刷したら、どうなるか……。
写真はドン・ハーンスタイン。
ボブ・ディランやグレン・グールドのポートレイトを撮った名カメラマンである(冒頭、ベルク盤も)。
同じストラヴィンスキーの≪火の鳥≫(ニューヨーク・フィルハーモニック、1975年録音)も、強烈なヴィジュアルで忘れがたい。

これもバーグのデザインで、彫刻家・木版画家ジェイムズ・グレイショーが起用された。
上記2枚は、名プロデューサー、アンドリュー・カズディンの担当。
以後、コロムビア・レコードは、CBSソニー~ソニー・ミュージックとなるにつれ、ジャケット・デザインは画一化、単純化していく。
ブーレーズも、ドイツ・グラモフォンに移籍してからは、巨匠然としたポートレイト写真のジャケットばかりになった。
だが、1970年代に、コロムビアでLPを大ヒットさせていたブーレーズは、間違いなく私たちのヒーローだった。
それを支えたのが、ジョン・バーグを中心とする同社のジャケット・デザインだった。
演奏者の顔ではなく、まったく別のアートを配することで、新たに生まれる何かを、ジャケットで訴えようとしていた。
そこにはずっと、ブーレーズがいたのである。
ジョン・バーグは、昨年10月に亡くなった。
その3か月後、後を追うように、ブーレーズも亡くなった。
今ごろ、天国で久しぶりに再会し、新たなジャケットでLPをつくっているのではないか。
(ピエール・ブーレーズ 2015年1月5日没 満90歳)
(敬称略)
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