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2019.02.23 (Sat)

第227回 仕事を「目指す」

うたかた
▲『うたかた 七代目鶴澤寛治が見た文楽』(中野順哉、関西学院大学出版会)


 2月の文楽公演(東京)の第3部で、《阿古屋琴責》の段(壇浦兜軍記)が上演された。
 平家の残党・景清の行方を捜索中の畠山重忠は、遊君・阿古屋を逮捕する。彼女は景清の愛人なので、行方を知っているはずだ。だが、いくら取り調べても、知らぬ存ぜぬの一点張り。そこで重忠は奇策を発案する。阿古屋に、三曲(琴、三味線、胡弓)を弾かせるのだ。もし音色に乱れが生じれば、ウソをついている証しになる……まさに劇画のような「奇策」だが、こういうトンデモ設定を平然と入れ込むところが、江戸エンタメの面白さでもある。
 今回は、この三曲を、鶴澤寛太郎(1987~)が見事にこなして、人形の阿古屋(桐竹勘十郎)ともども、喝采を受けていた(彼の三曲は、東京ではこれが2回目だと思う)。

 幕間にロビーの売店をのぞくと、新刊書籍が山積みになっていた。『うたかた 七代目鶴澤寛治が見た文楽』(中野順哉、関西学院大学出版会)とある。昨年9月に、89歳で逝去した人間国宝、七代目鶴澤寛治(1928~2018)の、聞き書き自伝である。「阿古屋」は、寛治の若いころの得意演目でもあった。
 さっそく読んでみると、戦前からいまに至る文楽界の貴重な証言が多い。だがそれらの大半は、『文楽の歴史』(倉田喜弘、岩波現代文庫)や、竹本住大夫(1924~2018)の多くの著書でも触れられている。本書の面白いところは、後半、いまの文楽界に対する“お小言”にある。
 「かつての稽古」は、「内面の指導」が中心だった。「『優しい気持ちを持て』――それが三味線の内面に求める根幹である」「親に心配をかけない」「親孝行をしなければならない」「はがき一枚でいいから送るようにしろ」「ご先祖を大事にせなあかん」
 昭和29年にテープレコーダーが登場したら、父(六代目寛治)たちは「これで芸は終わった」と言ったらしい。なぜか。「テープに残してしまうと『その瞬間の師匠の手』が保存される。弟子はそれを真似る。師匠はそれを聞いて『違う!』と言うが、弟子は『しかし師匠はこのように弾いていた』と反論する。/実に馬鹿げた話だ。(略)創造とは程遠い、何の値打ちもないコピーが量産されてゆくだけだ。(略)この考えが、いかに危険であるかを、もう一度文楽の人間は意識しなければならない。残念ながら今の文楽の主流は、この量産体制にある」
 吹奏楽コンクール課題曲が発表されるたびに、参考音源と称するCDとDVDが同時に発売される。あれを思い出す。もちろん、文楽と吹奏楽を同列には論じられないが。

 前段で紹介した寛太郎は、この七代目寛治の孫である。だが、本書中に、孫に対する特別の記述は皆無。ほかの弟子と同列に名前が出てくるだけだ。
 文楽は世襲制ではない。歌舞伎界で人間国宝になるには、名門役者の家の出でなければダメだが、文楽はちがう。一般家庭出身でも、実力次第では、人間国宝になれる。わたしが文楽を愛する理由のひとつが、ここにある。寛太郎は、祖父を「継いでいる」のではなく、祖父の仕事を「目指している」のである。
 以前、寛太郎が、豊竹嶋大夫の引退披露《関取千両幟》で、アクロバットのような曲弾きをこなしていたのを思い出す。三味線を逆さまに持って弾いたり、頭の上で弾いたり、すごかった。本書によれば、むかしは曲弾きは寄席の出し物だった。それに反発を覚えたのが六代目で、いま、次の次の代にあたる寛太郎が、文楽の本公演で引き継いでいる。これこそ録音や録画では身につかない、ほんとうの芸だと思う。
<敬称略>

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