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2024.02.28 (Wed)

第448回 【歌舞伎/文楽/演劇】 国立劇場以外での、国立劇場主催公演

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▲(左から)歌舞伎正月公演、文楽12月公演、文楽2月公演パンフ。表紙には「国立劇場」とあるが、会場は、国立劇場ではない。

昨年10月、国立劇場が閉場した。歌舞伎や文楽は、とりあえず、以下の別会場で公演された。

歌舞伎→新国立劇場・中劇場(今後も、ここを使用するのかは不明)
文楽→シアター1010、日本青年館ホール(今後、新国立劇場・小劇場や文京シビックなど、ほぼ毎回変わる予定)

そのほか、歌舞伎鑑賞教室はサンパール荒川などで、文楽入門公演は有楽町よみうりホールなどで開催されるようだ。まさに、国立劇場は、さまよえる流浪のシアターと化したのである。

2月で、まず3か所での初公演が、ひととおり終わった。「国立劇場以外での、国立劇場主催公演」である。簡単に感想を記しておく。

◆新国立劇場・中劇場で観た「歌舞伎」正月公演
新国立劇場

約1000席(1・2階席)なので、いままでの国立劇場・大劇場(1610席)よりは小ぶりである。江戸時代の芝居小屋を再現したといわれる「平成中村座」が約830席なので、あそこに近いキャパだ。ここは普段、大がかりな一般演劇に使用されているが、オペラやバレエも上演可能だ。かつて、小林紀子バレエ団公演に行ったら、2階最前列に、バレエ・ファンで知られる高円宮憲仁親王がおられたのをおぼえている(漂う気配が、そのあたりだけちがっていた。47歳の若さで薨去されたのは、そのすぐあとだった)。

あたしは、ここでのシェイクスピア・シリーズに通っているほか、最近ではパリ・国立オデオン劇場『ガラスの動物園』、文化庁芸術祭主催『レオポルトシュタット』などを観た。だがステージに奥行きがありすぎて、安席で後方専門のあたしとしては、いつも「遠くで何かやってるなあ」と感じていた。演出家はステージを広々使えるのでやり甲斐があるだろうが、観客は2階後方にもいることを、もう少し考えてほしいと、しばしば思わされた。

まさか、その劇場で「歌舞伎」を観るとは夢にも思わなかった。だが、その“中途半端な広さ”が、実はピッタリなのであった。普段ここは、客席の床がそのままステージにつながっているような状態での公演が多い。しかし歌舞伎ではそうはいかないので、特設舞台がつくられていた。これはかなりの手間と経費を要したのではないか。しかし、歌舞伎ならではのセットを組むので、あのだだっ広いステージが狭くなり、かえって見やすくなったのである。

正月は、恒例の菊五郎劇団。今年は、『石切梶原』『葛の葉』など。例年の復活新作ではなく、古典名作だったが、なかなかよかった(なぜ古典見取りになったのかは、記者会見=後述で、時蔵が「(国立劇場側が復活新作を)やる気がなかったのかなと思いました」と、ズバリ述べていた。おおやけの場でこんなことをいえる役者は、あまりいない)。

国立劇場・大劇場や、歌舞伎座のような横長舞台でもなく、上述のように適度な大きさだ。客席は半円形で舞台に向いており、しかも傾斜があるので、後方でもよく見える。

今回は中村梅枝が大活躍で、三幕とも、ほぼ出ずっぱりの“梅枝奮闘公演”である。6月には時蔵を襲名するそうだ。有名な『葛の葉』の曲書きシーンなど、大劇場とちがって、ほとんど目の前で観ているような迫力で感動した。なにしろ傾斜があるので、真ん中あたりの席だと、舞台と見物の視線が、ほぼおなじ高さである。よほど前方席でないかぎり、下から見上げる感じはない。歌舞伎は所作が大きいせいもあるが、「遠くで何かやってるなあ」と感じることもなかった。

唯一の問題は花道がないことで、なんとなく数メートルの仮花道っぽいスペースは用意されているのだが、とうてい大劇場にはおよばない。おそらく宙乗り設備もないだろう。小ぶりな会場なので、ツケ打ちがやたらと大きく響いて耳が痛くなったが、全体は、まさに歌舞伎にピッタリだと思った。むかしの見物は、これくらいの距離感で芝居に接していたのだろう。無理な話だが、次の国立劇場でも、このスペースで歌舞伎を観たいものだと思わされた。
 
◆シアター1010〔センジュ〕で観た「文楽」12月公演
シアター1010

ここは、北千住駅直結の商業施設(マルイ)の10階にある。いままで三宅坂へ通っていた文楽ファンの大半にとって、まったくなじみのない土地ではないかと思われる。

701席(1・2階)なので、いままでの国立劇場・小劇場(590席)よりは大きい。大阪の国立文楽劇場が、出語り床のときで731席なので、あそことほぼおなじキャパである。

北千住といえば、宮部みゆきの直木賞受賞作『理由』を思い出す。舞台のモデルとなったタワーマンションは、駅からしばらく歩いた隅田川沿いにある(国松警察庁長官が狙撃された現場だ)。

あたしは、この劇場は数えるほどしか行ったことがなく、ひさしぶりだった。平幹二朗主演で、全員男優による『アントニーとクレオパトラ』を観た帰りに、駅前で安酒を呑みすぎて悪酔いしたのが忘れられない。ほかに記憶もおぼろげだが、たしか落語会にも行った。

そんな劇場で文楽を観るとは、夢にも思わなかったが、これまた実にピッタリの劇場だと思った。いままで東京の本公演(国立劇場・小劇場)は、客席はほぼフラットだし、椅子は狭いしで、とにかく窮屈だった。字幕が見切れになる席も多かった。しかしここは、上述の新国立劇場・中劇場とおなじく適度な傾斜があり、席も半円形に近いので、たいへん見やすかった。出語り床の盆も、ちゃんと設置されていた。

あたしは、前方の席を買っていたのだが、人形が舞台奥、本手摺の上にいくと、かなり下から見上げるような感じになった。そこで休憩後は、真ん中より後方の空席に移ってみたら、これまた、ちょうどこちらの視線と人形がほぼおなじ高さになり、見やすくなった。あの視線の高さで文楽を観たのははじめてだったので、新鮮だった。

ただこの劇場には2階席がある。もしや、2階から観たら、船底や、人形遣いの足許が見えてしまうのではないか。まあ、それはそれで面白いので、いつか挑戦してみたい。

演目は『源平布引滝』~「竹生島」「実盛物語」。東京の12月は若手・中堅公演で、幹部級は出演しない。それでも織太夫、芳穂太夫が最後をつとめて、大熱演であった。

◆日本青年館ホールで観た「文楽」2月公演
日本青年館

若手・中堅公演はシアター1010で、幹部公演は、この日本青年館ホールという区分けなのだろうか。そもそも、プログラムに「初代国立劇場閉場後の初の文楽本公演は、日本青年館ホールにて開幕します」とあったが、ということは、上述・昨年12月のシアター1010公演は何だったのだろうか。あれは「本公演」ではなかったのか。もし幹部級公演が「本公演」だというなら、若手・中堅公演は何と呼べばよいのだろうか。

ここは1・2階席あり、全1249席と、3会場のなかではもっとも巨大なホールである。宝塚歌劇団東京公演の会場として、有名だ。とうてい文楽には向かないと思いきや、案の定、かなり無理があると思った。

場所は、銀座線「外苑前」駅から徒歩5分ほどで、神宮球場に隣接している。JR「千駄ヶ谷」駅か「信濃町」駅からだと、徒歩15分くらいか。あたしは千駄ヶ谷から、国立競技場を横に見ながらテクテク歩いて行った。

ここは、「青年団」運動の本拠地である。山田洋次監督の映画『同胞(はらから)』(1975)で、岩手の若者たちが、東京のミュージカル劇団を招聘しようと奮闘していたが、彼らがその「青年団」である。

この建物、以前はもうすこしJR駅寄りにあったのだが、2020年東京五輪で、国立競技場が拡大新築されるにあたって、立ち退きにあい、いまの場所に移転した。まったくあの五輪は迷惑な行事である。前の建物のとき、何度か演劇を観にいったが、移転後は、あたしは今回が初めてだった。

ここでも出語り床が設置されていたが、とにかく広すぎる。席は、舞台に向かってかすかに弧を描いているが、横一直線の感覚に近い(傾斜は十分にある)。よって端に座ると、なんだか観にくい。明らかにステージ全体を使うミュージカルのような出し物のための劇場だ。文楽のように、ほぼ横移動のみで展開する見世物には、まったく向いていない。

それより問題は、モギリが2階なので、エッチラオッチラ、階段を登らねばならないことである。そのうえ、ロビーと呼べるようなスペースが、ほぼ「ない」。外回りは狭い「廊下」があるだけで、椅子などもない(だから、おみやげ売店もない)。よって、休憩時間の居場所がない。

コインロッカー料金は驚愕の「300円」! しかも、「戻らない」。国立劇場も「戻らない」が「10円」だった。松竹だって「戻らない」が「100円」である。

1階も狭く、ここにも「ロビー」スペースは、ない。椅子などもない。カフェとコンビニはある。だがカフェは数えるほどしか席がない。しかも行列である。仕方なく、入れ替えの間は、みなさん、寒空のもと、外へ出て、周辺のベンチや花壇の端に座って軽食を食べている。あたしも、そうするしかなかった。なにが悲しくて、狂言見物に来て、こんな思いをしなければならないのだろうか。

2月は3部制である。いままでは、たとえば1部・2部通しで見物の場合、そのままロビーで座っていれば、係員がモギリに来てくれて、すぐに入れた。ここでは、そうはいかない。いちいち階段を下りて、外へ追い出される。しかも先述のように、椅子もなく居場所もないから、年輩の見物は、つらそうにコンビニ前で立ったまま入場開始を待っている。カフェは行列でとうてい入れない。

あたしは、1部・2部とつづけて、『勘平腹切』や『酒屋』などを観たのだが、周辺環境のひどさに腹が立って、なにを観たのか、よく覚えていない(シアター1010では、それほどの不便は感じなかった)。もう、あんな劇場で文楽は、二度と観たくない。

  *****

そんなことを感じながら「国立劇場以外での、国立劇場公演」を観ていたら、先日、中村時蔵や吉田玉男、井上八千代ほか、いままで国立劇場で公演してきた伝統芸能の実演家10人が、日本記者クラブで会見をひらいた。

要するに、昨年10月の国立劇場閉場以来、改築業者の落札が成立せず、新築開場の見通しがまったく立っていないことへの憂慮である。さらにこんなに長いこと、ナショナル・シアターが稼働しないことで、伝統芸能にいかに悪い影響があるかを訴えた。

よく考えると信じられない話だが、国立劇場は、いつ再開場するか、まったく見通しが立っていない状態で閉場したのである。こんな国があるだろうか。しかも、以前にも書いたが、今度は、海外観光客のための巨大ホテル施設となり、そのなかに新劇場を押し込めるという、前代未聞、世界のどこにそんなナショナル・シアターがあるのかと呆れる計画である。これにかんしては、国立劇場(日本舞台芸術振興会)の元評議員で、作家の竹田真砂子氏も、ブログで憂いていた。“身内”からも呆れられるようでは、なにをかいわんやである。

そういえば、国立劇場は閉場したが、そのなかの図書室は再開したそうである。だったら、いっそ小劇場くらいは再開してはどうですか。どうせ、工事など、そう簡単にはじまりそうもありませんから。
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2024.02.14 (Wed)

第447回 【映画/バレエ 先取り紹介】 ROHシネマ~《くるみ割り人形》は、なぜせつないのか。

くるみメイン
▲ROHシネマより~ドラジェ菓子(金平糖)の精(アナ・ローズ・オサリヴァン)と、
お菓子の国の王子(マルセリーノ・サンベ) © 2023 ROH. Photographed by Andrej Uspenski.


しばしば本ブログで紹介している「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2023/24」で、16日より、おなじみの人気舞台《くるみ割り人形》が公開される(日時、劇場などは文末リンク参照)。

振付け・演出家によってちがいがあるが、このロイヤル・バレエのピーター・ライト版は、かなり広く親しまれているヴァージョンのひとつだと思う。

本作は、たいへん不思議なバレエである。チャイコフスキー3大バレエのほか2作《白鳥の湖》《眠りの森の美女》のような、激情ドラマではない。ストーリーも、あるようなないような、半分がガラ・コンサートのようなバレエである。そもそも全2幕しかない(最初からミニ・オペラとの2本立て興行用に作曲されたので)。しかも主役が前半と後半で入れ替わる。肝心のプリマドンナは第2幕にならないと出てこないうえ、出番も多くない。

なのに、このバレエを観るたびに、誰もが、不思議な郷愁をおぼえ、どこか懐かしい気持ちになる。

大きく分けて2種類の演出がある。少女クララが、第2幕でお菓子の国に行き、ドラジェ菓子の精(日本では「金平糖の精」とされる)に出会い、大人の世界へ誘われる(ような雰囲気の)ヴァージョン。もうひとつは、クララが第2幕でドラジェ菓子の精に変身する(大人に成長する)ヴァージョン。どちらにしても、クララが少女時代に別れを告げ、大人への第一歩を踏み出す設定だ(ROHのピーター・ライト版は前者だが、さらにそこに「初恋」や「青年の成長」もからむので、さらにロマンチックになっている)。

その姿を、クララと同年世代が観れば自分のことのように感じ、大人が観れば「自分にもあんな頃があった」と懐かしく感じる。そこが、このバレエが長く愛される理由のひとつだと思う。

しかし、なぜ《くるみ割り人形》には、そんなテイストがあるのだろうか。実はこの音楽は、チャイコフスキーが大好きだった、亡き妹への「追悼曲」だったのである。

   *****

ホフマンの童話を、デュマ父子がフランス語で翻案改訂した『はしばみ(ヘーゼルナッツ)割り物語』をバレエにしようと考えたのは、マリインスキー劇場だった。スタッフは、大ヒット舞台《眠りの森の美女》とおなじ、プティパ台本・振付、チャイコフスキー作曲という座組みとなった。

ところが、出来上ったプティパの台本は、フランス革命を象徴的に盛り込んだ、壮大な革命物語となっていた。劇場側はすぐに却下。本来の童話調に改訂された(ただし、行進曲やギャロップ、タランテラ、ネズミ軍との戦いの音楽などに原案のニュアンスが残っている)。

プティパの作曲指定は、いつも、微に入り細を穿っている。楽曲の調性、小節数、転調の位置、テンポ、リズムなど、すべてが指定されている。チャイコフスキーは、ちょうどカーネギー・ホール開場記念でアメリカへ行くところだった。指定と台本を受け取り、うんざりしながら、1891年3月に出発。旅の合間に、しぶしぶ筆を進めていた。

ところが4月、妹アレクサンドラの訃報がとどく。チャイコフスキーは、この2歳下の妹を愛し、慕ってきた。幼いころに母を亡くしたチャイコフスキーにとって、この妹は母親がわりでもあった。彼女が嫁いだあとも頻繁に会いに行き、甥や姪たちを可愛がった。そもそも、《白鳥の湖》や《眠りの森の美女》も、原型は、この妹一家の家庭内音楽として構想されていたのである。作曲中の《くるみ割り人形》にも、当然ながら、彼女の面影が刻まれた。

ここまで書けば、おわかりだろう。少女クララは、チャイコフスキーの妹アレクサンドラなのである。ネズミ軍との戦いでクララが窮地を救う、くるみ割り人形は、兄チャイコフスキーである。人間に変身したくるみ割り人形は、お礼にクララをお菓子の国へ案内する。つまり、チャイコフスキー自ら、妹を天国へ導いてあげるのだ。劇中、しばしば聴かれる、あまりに美しい旋律やオーケストレーションは、アレクサンドラの追悼であり、鎮魂曲だ。チャイコフスキーは、妹への感謝とお別れを、ことばではなく、音楽で表現した。だから、誰が観ても(聴いても)せつなくなるのである。

バレエ・ファンなら、モーリス・ベジャール演出の《くるみ割り人形》をご存じだろう。幼いころに母親を亡くした少年が体験する、幻想物語の設定になっていた。ベジャール自身がモデルといわれているが、本作の本来のニュアンスを生かした演出でもあった。
 
  *****

日本を代表するバレエ指揮者・研究家の福田一雄さん(1931~)によると、《眠りの森の美女》と《くるみ割り人形》には、打楽器に「ドラ」が指定されているという(『バレエの情景』音楽之友社、1984年)。ところが、どちらも、全曲中、「2回」しか使用され(鳴らされ)ないのだとか。あんな大きな打楽器を用意させて、2回しか鳴らさないのだから、コスパが低いこと、このうえない(もっとも、ドヴォルザーク《新世界より》のように、かすかに1回鳴らすだけのためにシンバルが指定された例もあるが)。

《美女》では、リラの精がオーロラ姫たちを眠りにつかせるところと、目覚めさせるところで鳴る。どちらも重要な場面である。

《くるみ割り》では、ネズミ軍と人形軍との戦いのシーンで鳴る。ここでは、大きな戦闘が2回、ある。それぞれの戦闘開始の合図で、ドラが鳴る。スコアを見ると、たしかに「La bataille」(戦闘)、「La seconde bataille」(第2戦闘)と書いてある。ところが、ここのドラの強弱指定は「mf」(メゾフォルテ)なのだ。それほど大きな音で鳴らすわけではない。バックで太鼓が「ff」(フォルティッシモ)で鳴っているので、そちらのほうが大きく響いて、あまり聴こえない。

福田さんは、『バレエの情景』のなかで、こう書いている。

〈現在、「くるみ割り人形」で、このドラが強くなるアクセントを、ほとんどの振付師が、無視しているように思われるのは残念である。〉

あたしは《くるみ割り人形》を観る(聴く)たびに、このドラの箇所が気になる。たしかに福田さんがいうように、あまり強調されていたことはない。今回のROHシネマでも、よほど耳を澄ましても、わからないだろう。だが、このドラが、クリスマスの晩、チャイコフスキーが、最愛の妹アレクサンドラを天上へ連れていく、ささやかな合図なのだと思うと、「mf」なのも理解できて、またもやせつない気分になるのである。

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▲ROHシネマより~クララ(ソフィー・アルナット)と、くるみ割り人形(レオ・ディクソン) © 2023 ROH. Photographed by Andrej Uspenski.


◆英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2023/24~《くるみ割り人形》は、2月16日~22日の限定上映です。2時間36分(途中休憩1回あり)。劇場や上映時間、出演者詳細などは、公式HPを参照してください。




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2024.02.12 (Mon)

第446回 【美術展】「軽薄」で「不自然」な、「大吉原展」

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▲東京藝術大学美術館にて(公式HPより)

3月26日より、東京藝術大学美術館で「大吉原展 江戸アメイヂング」が開催される。主催は、東京藝術大学・東京新聞・TV朝日の3社だ。あたしは、これを楽しみにしていた。

ところが、先日、同展の公式HPを見たら、なにやら「声明」らしき文が載っていた。《「大吉原展」の開催につきまして》(2月8日付)と題されている。主旨部分を抜粋する。

《本展の開催について、さまざまなご意見をいただいていることから、展覧会の主催者よりご説明申し上げます。》

《本展は、今まで「日本文化」として位置づけられてこなかった「吉原」が生み出した文化を、美術作品を通じて再検証し、江戸文化の記憶として改めて紹介する趣旨で開催を決定いたしました。》


《しかしながら一方で、上述しましたように、本展がテーマとする、花魁を中心とした遊廓「吉原」は、前借金の返済にしばられ、自由意志でやめることのできない遊女たちが支えたものであり、これは人権侵害・女性虐待にほかならず、許されない制度です。/本展では、決して繰り返してはならない女性差別の負の歴史をふまえて展示してまいります。》

   *****

《さまざまなご意見をいただいている》とあるので検索してみると、すぐに見つかった。週刊誌「女性自身」の記事だ。YAHOO!ニュースに転載されていた。

ほかのニュース・サイトでも多く報じられているようだったが、「女性自身」記事の主旨部分を抜粋する。

《そもそも吉原は女性たちが性的に搾取されていたと指摘されている場所でもある》

《しかし、「大吉原展」の公式サイト上では、そのような点に触れている様子はない。》

《吉原が江戸文化の発祥地であることは確かであるものの、負の側面に一切触れず美しい面のみをフォーカスしている今回のWEBサイトの表現に対しては、“軽薄”だとして批判する声がSNS上で相次いだ。》


そして、当の《SNS上で相次いだ》投稿が、以下のように紹介されている。

《人身売買や性的搾取という厳然たる側面に一言も触れずに、アートや芸術を標榜する軽薄さが痛々しい》

《大吉原展のホームページ見たけど、暗い部分綺麗に排除されてて不自然さがすごかった》

《「大吉原展」と銘打つなら負の部分も同程度にきっちり紹介すべきでは?「美の集結」だの「エンタメ」だの、軽すぎる。言葉も思想も軽すぎる。何を示そうとしているのか、全く分からん。あかんよ、ほんまに》

「軽薄」「不自然」「軽すぎる」……「女性自身」編集部は、主催者にこの件を問い合わせた。

その結果、《2月8日20時、担当者から次の回答があった。》として、上記の文が返答され、その30分後に、そのまま公式HPに掲載されたのだという。

つまり、この「声明」文は、主催者が積極的に発信したものではなく、「SNS上の投稿」および、「女性自身」編集部からの問い合わせがあったので掲載に至ったようなのである。

   *****

歌舞伎で『助六』や『籠釣瓶』が上演される際、松竹から「私たちは、吉原で搾取されていた花魁たちの苦悩を忘れずに上演いたします」なんて声明が出たとは、聞いたことがない。

松たか子の初舞台は、1993年11月、歌舞伎座『人情噺文七元結』の「お久」役だった。当時16歳。高麗屋にこんな可愛いお嬢さんがいたのかと驚いた。だが、このとき「吉原に自ら身を売りに行く役を、未成年の娘にやらせるとは、あまりに軽薄だ」との意見があったとは、聞いていない。

樋口一葉『たけくらべ』を読んだ森鷗外は、「此人にまことの詩人といふ称をおくることを惜まざるなり」と絶賛した。だが「鷗外に、吉原に売られる美登里の気持ちがわかるのか。あまりに不自然な評だ」との文句が出たなんて話は、聞いたことがない。

太田記念美術館の展示には、吉原を題材にした作品が多い。昨年11月、葛飾応為(北斎の娘)の肉筆画『吉原格子先之図』が久々に公開され、大盛況となった。入口からひとがあふれていた。あの中に「こんな絵を平然と公開するなど、軽すぎる」と抗議するひとがいたとも、思えない。

   *****

——なのに、なぜ今回の「大吉原展」では、こういうことになったのか。浅学なあたしには、よく理解できないのだが、しかしまあ、なんとも世知辛い世の中になったものだと思う。

いま、むかしの小説、漫画などには、ほぼすべて、巻末に断り書きが載っている。

《本作品中には、今日の観点からみると差別的表現ととられかねない箇所が散見しますが、著者自身に差別的意図はなく、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また著者がすでに故人であるという事情に鑑み、原文どおりとしました。》(新潮文庫)

手塚治虫作品に至っては、手塚プロダクションと出版社の連名で、巻末1頁まるごとを、かなり長文の断り書きで埋めている。

漱石が『草枕』冒頭で、《智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。》と綴った、まさにあの気分である。

来年のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』は、蔦屋重三郎の生涯を描くのだという。大河史上初めて、「編集/出版人」が主人公になるわけで興味は尽きないのだが、彼の隆盛のきっかけは、吉原大門前でひらいた書肆だった。ここで販売した『吉原細見』が大ベストセラーとなったのである。これは、吉原遊郭のすべての店名と位置、料金ランク、所属遊女のリストを掲載した「ガイドブック」であった。以前からあった出版物だったが、蔦屋が株(出版権)を入手し、それまで地図スタイルだったのを、冊子風に改良して大ヒットした。そのほか『一目千本』『青楼美人合姿鏡』など、彼の初期ベストセラーは、ほとんどが吉原がらみだった。

つまり蔦屋の生涯を描くのであれば、かなりの部分で吉原が舞台となるはずなのである。当然NHKは声明を出すでしょうし、今回SNSに投稿した方々は、さらに厳しい声をあげるのでしょう。「女性自身」の追及にも期待しております。

なにしろ漱石も、『草枕』で、上述につづけて《住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。》と綴っているようなので。


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2024.01.25 (Thu)

第445回 【TV/映画/本】「新刊」と「新作映画」におくられて旅立った、山田太一さん

ドラマ2月号
▲「月刊ドラマ」2月号

昨年11月29日、脚本家・作家の山田太一さんが亡くなった(享年89)。

あたしは、三島由紀夫賞・山本周五郎賞が1988年にはじまってからしばらく、選考会・授賞式での“配車係”をやっていた。選考委員や受賞者の、会場(ホテルオークラ)~自宅間の車の送迎手配である。

第1回の山本賞は、山田太一さんの『異人たちとの夏』(新潮社刊)だった。この作品が第1回受賞作となったことで、新しい賞の性格や方向性が、はっきり示された。その意味で、とてもいい作品が選ばれたと思った(ちなみに第1回三島賞は、高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』だった)。

授賞式の日、山田さんは、たしかTBSかどこかで仕事をしており、直接行くから車は不要とのことだった。

あたしは、観るたびに号泣する映画『あこがれ』(恩地日出夫監督、1966)や、TV『岸辺のアルバム』『男たちの旅路』などの脚本家として、山田さんを大尊敬していた。どんな方かと思って緊張しながらお迎えしてみれば、小柄で、小さな声で話す、たいへん地味で静かなひとだった。授賞式の間も、ずっと、はにかむような表情をしておられた。

その山田さんは、第5回(1992年)から8年ほど、山本賞の選考委員をつとめた。その間の第7回(1994年)の受賞作が、久世光彦さんの『一九三四年冬 乱歩』(集英社刊)だった。いうまでもなく、久世さんも、山田さんとおなじTV業界人。1976年のドラマ『さくらの唄』(TBS)は、山田太一脚本、久世光彦演出だった。年齢も久世さんが1歳だけ下の、同世代である。

選考会で受賞作が決まると、すぐに受賞者に駆けつけてもらい、記者会見となる。そのときも久世さんが、いままでどこかのスポーツジムにでもいたのか、ジャージ姿のまま、タオル片手にホテルオークラの記者会見に来てくださった。

そのころ、選考委員たちは、別室の慰労会場で、軽食をつまみながら、イッパイやっている。山田さんは、お酒はあまり強くないのか、顔を真っ赤にしながら、ほかの委員と談笑していた。

そこへ、記者会見を終えた久世さんが、緊張した様子で「ありがとうございます……」と入ってきた。そのときの山田さんの表情が忘れられない。満面の笑みを浮かべて、「いやあ、おめでとうございます、さあ!」と、すぐ隣りの席をすすめていた。たぶん、久世さんと話したくて、強くないお酒を舐めながら、待っていたのだと思う。長年、TV業界で活躍してきた同士が、視聴率以外でこのような評価を得たことがうれしくて仕方ないといった様子だった(このとき、同室内に三島賞選考委員もいて、奥で、石原慎太郎・江藤淳の両氏が、“かなり”盛り上がっていたのも忘れられない)。

   *****

男たちの旅路
▲これさえあれば生きていける『男たちの旅路』DVD全集

ところで、『岸辺のアルバム』(1977)、『男たちの旅路』(1976~82)である。大学で同級のS君は、これら山田ドラマの物まねが絶品だった。

▶岸辺のアルバム
「浮気の提案です。お互いの家庭は決して壊さない。絶対に秘密は守る。深入りはしない」(竹脇無我)

「アルバムよ! 2冊でも3冊でもアルバムを取ってきたいんです。家族の記録なんです! かけがえがないんです!」(八千草薫)

▶男たちの旅路
「甘ったれたことを言うな! こんな場所を選んで、わざわざノコノコ上がって来る奴に、死ぬ資格などない!」(鶴田浩二)

「戦争って、案外、勇ましくていい事がいっぱいあるのかもしれないなんて、思っちゃうよ。それでもいいんですか? 俺は五十代の人間には責任があると思うね!」(水谷豊)

——ドラマよりも、口角泡を飛ばしてこれらの物まねをするSくんのほうが印象に残っているくらいだ。つまり、それほど、山田ドラマには、不思議な熱量があるのだ(すでに名作『ふぞろいの林檎たち』もはじまっていたが、あたしもSくんも、群像劇のせいか、それほどは熱狂しなかった)。

余談だが、『男たちの旅路』第4部第2話〈影の領域〉(1979)では、鶴田浩二、梅宮辰夫、池部良の3人が、同一画面内に登場する。東映ヤクザ映画のスター3人がそろったわけだ。第3部第1話〈シルバーシート〉(1977)でも、笠智衆、殿山泰司、加藤嘉、藤原鎌足、志村喬ら“昭和映画界の老名優”がそろい踏みしていた。このドラマは、映画ファンにとってもたまらないキャスティングだった。

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山田太一 本
▲”山田太一本”の数々

山田ドラマに強烈な記憶があるのは、多くが“活字”で読めたからでもある。

『岸辺のアルバム』は、東京新聞連載の「小説」が原作だった(挿絵が深井国氏だった)。『異人たちの夏』も、のちに大林宣彦監督で映画化されたが、もとは「小説新潮」連載の「小説」である。

そのほか、脚本も、多くが出版されている。『ふぞろいの林檎たち』も新潮文庫化されたし、『男たちの旅路』に至っては、3~4回、単行本化されている。菅原文太・和田アキ子主演の、女子プロレスに挑む少女たちを描いた『輝きたいの』(1984)も単行本化され、夢中になって読んだ記憶がある。

倉本聰とならんで、これほど出版化された脚本家は、珍しいのではないか。もちろん読者は、あの“山田太一ブシ”とでもいうような、強烈な説教調のセリフを目でも確かめたかったのである。選び抜かれた、確固とした言葉で書かれているので、「小説のように読める」脚本だった。

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脚本
▲昨年10月刊の、山田太一さんの「最新刊」

そんな山田太一さんだが、亡くなる直前に「新刊」が出ていた。『山田太一未発表シナリオ集』(山田太一著、編・解説:頭木弘樹/国書刊行会)である。

これは驚くべき本で、パートⅣで終わっていた『ふぞろいの林檎たち』の7年後、40歳代になった彼らを描いた〈パートⅤ〉が収録されている。さらに、『男たちの旅路』では、本来の第4部第2話になるはずだった〈オートバイ〉なる作品までも! それら未映像化脚本2作を中心に、まぼろしのTBS「2時間サスペンス・ドラマ」『今は港にいる2人』も収録されている。

どれも、さすがは山田太一さんといいたくなるシナリオである。これらが未発表に終わった理由は、解説に詳しい(編者の頭木弘樹氏は、ずっと山田さんのもとへロング・インタビューで通っていたらしい)。

そのうち、『男たちの旅路』〈オートバイ〉については、準主役の水谷豊が売れっ子になってしまい(日本テレビ『熱中時代』の大ヒットで)、継続出演が難しくなったことがボツの理由だったようだ。

第4部第2話〈オートバイ〉は、その前の回〈流氷〉に引き続き、水谷豊が重要な役を演じる。今回も、陽平(水谷豊)が、上司の吉岡司令補(鶴田浩二)と“対立”する。

郊外の静かな団地に、毎晩オートバイであらわれて騒音をまき散らす若者。徹底的に排除しようとする警備担当の鶴田浩二。それに対し、水谷豊は、ここまでしつこくあらわれるには、彼にもなにか理由があるはずで、それを聞くべきではないかと主張する。だが、業務として“警備”を請け負った吉岡にすれば、そんな甘い対応は許されない……。

第4部に入って、鶴田浩二と水谷豊の関係が逆転するのでは……と感じはじめた視聴者の期待に応える回である。実現していれば、今回も(歌舞伎でいう)「ジワがくる」クライマックスになったと思う。

だが水谷豊の起用は不可能になった。そこで〈オートバイ〉はボツになり、この回から水谷豊は降板、上述〈影の領域〉に変更されたのだった。

山田さんは2017年に脳出血を発症。以後、本格的な執筆活動にはもどれないまま、11月末に逝かれた。まるで、『山田太一未発表シナリオ集』の10月末刊行を待っていたかのようだっだ。

   *****

異人たち
▲イギリス映画『異人たち』(4月公開)

そしてこの4月、山田さんの小説、第1回山本賞受賞作『異人たちとの夏』が、イギリスで再映画化され、日本公開される。1988年、大林宣彦監督・市川森一脚本によって映画化されて以来、35年ぶりのリメイクである。風間杜夫、片岡鶴太郎、秋吉久美子、名取裕子らによる、名作であり迷作であり怪作であった。だが不思議と忘れがたい映画で、あたしは嫌いではない。この映画を観て、浅草のすき焼き屋「今半別館」へ行くひとが続出したといわれたものだ。

今回のリメイク『異人たち』(All of Us Strangers/アンドリュー・ヘイ監督)は、あたしも先日試写会で鑑賞させていただいたが、予断を与えたくないので、あえて感想は記さない。プレス資料によれば、まだ山田さんが伏せる以前から、ご家族ぐるみで進めていた企画らしい。こういう映画になることを、山田さん自身、承知していたようである。おそらく完成作を観たら「いまの時代、これでいいんじゃないでしょうか」と、穏やかに微笑まれたような気がする。

山田さんは、「新刊」と「新作映画」におくられて旅立った。こんな最期をむかえた脚本家は、いない。ご冥福をお祈りします。
(一部敬称略)

あこがれDVD
▲山田太一さん脚本の名作『あこがれ』(内藤洋子主演、恩地日出夫監督、1966)。語りだしたらとまらないので、今回はなにも述べません。

映画『異人たち』のHPは、こちら。



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2024.01.22 (Mon)

第444回 【演劇/ジャズ/吹奏楽】《三文オペラ》~《マック・ザ・ナイフ》あれこれ

三文オペラ文学座
▲文学座附属演劇研究所の卒業発表会《三文オペラ》

文学座附属演劇研究所・61期卒業発表会で、《三文オペラ》を観た(西本由香演出、1月21日Bチーム、文学座アトリエにて)。

あたしは文学座や、俳優座、新国立劇場などの研究所(研修所)発表会に、時々行く。演目はソーントン・ワイルダー『わが町』、シェイクスピア、チェーホフなどが定番だが、時折、珍しい名作が上演されるからだ。たとえば近年だけでも、文学座研究所は『野田版・真夏の夜の夢』や、清水邦夫『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』などを、俳優座研究所は横山拓也作品をつづけて上演した。

もちろん出演者はプロ以前の若い研究生たちだが、演出などのスタッフはベテランのプロで、さすがに凡百の演劇サークルとはレベルがちがう。本格的な衣装や舞台美術、そして若者たちの熱演は、とても気持ちがよい。しかも、安い! どこも1000~2000円である(新国立劇場研修所は別格で、たとえば2月の終了公演はA席3850円!)。

《三文オペラ》はいうまでもなく「音楽劇」である。上演方法によっておもむきは変わるが、オペラでもありミュージカルでもあり、ストレート・プレイでもある。ジャズやダンス・ミュージックの感覚も必要で、本格的な歌唱力も要求される。これが舞台芸術学院の発表会ならわかるが、文学座の研究生が本作を上演できるとは、寡聞にして想像できなかった。かなりの不安を抱えてアトリエに向かった。

案の定、正直なところ、歌唱は、なんともいいようのないレベルであった。だが、「ブレヒト芝居」としてはちゃんとした形になっており、さすがは文学座と感心した。

西本由香氏の演出は、キチンと歌芝居の呼吸を心得ている。このひとの演出では、10年ほど前、シェイクスピア生誕450年記念、文学座連続公演のひとつ、『タイタス・アンドロニカス』を観て、仰天した覚えがある。だって、「リーディング」(朗読)だというので、そのつもりで行ったら、まったくの通常上演だったのである。全員、セリフはすべて入っており(よって台本は持たず)、メイクして衣裳と小道具も万全で、役者は舞台上を飛び回っている。特に、高橋克明・奥山美代子両氏の“怪演”は、いまでも忘れられない。どう観ても「リーディング」とはいえず、いままで観た『タイタス~』の最高傑作だと思っている。そうさせたのが(おそらく)演出の西本由香氏なのだと思う。

   *****

ところで《三文オペラ》である。終演後、近くの席で「聴いたことのある曲があった」といっているひとがいた。冒頭に歌われ、(そしてカーテン・コールでも演奏された)《メック・メッサ―のモリタート》である(モリタート=手回しオルガンでうたう大道歌)。後年、ジャズ・ナンバーとなり、《マック・ザ・ナイフ》の題でスタンダード名曲となった。日本では《匕首〔あいくち〕マック》の邦題もある。おそらくメロディを聴いて、知らないひとは、いないであろう。美空ひばりも歌っていた。紅白歌合戦にも3回、登場している(旗照夫、雪村いづみ、ジャニーズ)。

音楽劇《三文オペラ》は1928年8月に、ベルリンで初演された。作者ベルトルト・ブレヒト(1898~1956)、作曲者クルト・ヴァイル(1900~1950)にとっては、大急ぎで仕上げたやっつけ仕事だったが、大ヒットとなる。そもそもがオリジナルではなく、18世紀イングランドの詩人、ジョン・ゲイが構成案をつくった歌芝居《乞食オペラ》の翻案である。

内容は、ロンドン貧民街のギャングのボス、メッキ(マック)・メッサーが、乞食王の娘と結婚したために起きるドタバタ騒動である。ラストで、お笑いのような前衛のような左翼革命宣言のような、奇想天外な終幕を迎えることでも知られている。

アメリカでは1933年に英語版で上演されたが、これは当たらなかった。1954年になり、ミュージカル作曲・作詞家のマーク・ブリッツスタインが改作し、オフ・ブロードウェイで再演。これが大ヒットとなった。このときブリッツスタインは、《モリタート》の歌詞を変えた。マックとかかわりのある女たちの名前をズラリとならべ、「みんなそろってマックのお帰りをお出迎えだ」と結んだ。これを機にこの曲は《マック・ザ・ナイフ》となった。

翌1955年、さっそくこの曲を録音したのが、サッチモこと、ルイ・アームストロングだった。ところが、サッチモの歌は、ブリッツスタインの詞をさらに変えていた。ラストの女たちの名前のなかに、劇中に登場しない人物名が混じっていたのだ。

♪スーキー・トードリー、ジェニー・ダイヴァー、ロッテ・レーニャ、ルーシー・ブラウン——みんなそろってマックのお帰りをお出迎えだ。

このうちの「ロッテ・レーニャ」なんて人物は、《三文オペラ》には登場しない(当初は、ここにマックの花嫁「ポリー・ピーチャム」の名前が入っていた)。では、この「ロッテ・レーニャ」とはなにものか。

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▲ロッテ・レーニャとクルト・ヴァイル夫妻 【写真:Wikimedia Commons】

ロッテ・レーニャ(1898~1981)とは、《三文オペラ》作曲者クルト・ヴァイルの妻であり、初演、および最初の映画化(1931年)でジェニー・ダイヴァーを演じた女優・歌手である。上述、オフ・ブロードウェイ版でも同役を演じ、トニー賞を受賞している(オフ作品で初のトニー賞受賞)。

実は、サッチモがこの曲をレコーディングするとき、彼女がスタジオに来ていた。そこでサッチモが、(思わず?)サービスで名前を読み込んだといわれている。この曲は、のちにボビー・ダーリンがカバーして大ヒットするのだが、サッチモの詞で録音したため、以後、誰が歌っても歌詞に「ロッテ・レーニャ」が入るようになった。

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▲サッチモの録音を見学に来た、ロッテ・レーニャ 【写真:Wikimedia Commons】

ロッテが見学にいったときのものと思われる写真がある(上掲)。また、このとき2人一緒にうたった録音も残っている。このころクルト・ヴァイルはすでに逝去しており、ロッテは別人と再婚していた。だが、のちにヴァイル財団を設立するなど、生涯をヴァイル作品の普及につとめた。

そんなロッテ・レーニャだが、おそらく、いま本稿をお読みの方で、彼女を知らない方は、ほとんどいないと思う。あの007映画に出演していたのだから。

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▲『007 ロシアより愛をこめて』~左から2人目、短髪のソ連軍人が、ロッテ・レーニャ

それは、映画『007 ロシアより愛をこめて』(1963)の、ローザ・クレップ大佐役——といえば、映画に詳しくない方でも、「ああ、そういえば」と思い出すのではないか。

ソ連の秘密諜報組織「スメルシュ」の女大佐、しかしてその実態は、国際犯罪組織「スペクター」の№3。冷酷非情な性格で、ジェームズ・ボンド抹殺に命をかける“老鬼女”。自らの計画がことごとく失敗に終わるや、ついにラストで、自らがホテルの清掃係に化けてボンドの室内に潜入。靴先に毒針を仕込み、ボンドに襲いかかる。

なにしろ、もしこの暗殺に失敗すれば、自分の命が危ない。もう若くはないのに、なりふりかまわず暴れまわる老女の形相に、さすがのボンドも青筋を立てざるを得ない。一瞬、ボンドは完全に追い詰められる。

007シリーズには、毎回、個性的な敵役が登場するが、おそらく最高齢で、これほど印象に残る相手はいない(このころ、ロッテ・レーニャは65歳)。その凄絶な演技は、世界中の観客を震撼させた。なんて恐ろしい婆さんだ。あのボンドを、ここまで追い詰め、焦らせるとは。あの女優、なにものだ。

ロッテは基本的に舞台女優だ。それまで映画には2本しか出ていない。だから、ほとんどの観客は、銀幕で初めて彼女を観たのだ。ちなみにその2本とは、上述、戦前の《三文オペラ》と、1961年の『ローマの哀愁』(ホセ・キンテーロ監督)だ。後者はテネシー・ウィリアムズの小説が原作で、ヴィヴィアン・リー主演。ロッテは伯爵夫人を演じ、アカデミー助演女優賞にノミネートされている。このときの役が、なかなかの悪女役であった。もしかしたら、この名演がきっかけで007に起用されたのかもしれない。

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エラ
▲名盤、エラ・フィッツジェラルドのベルリン・ライヴ

《マック・ザ・ナイフ》は、その後も多くの歌手にうたわれてきた。そのなかで、特に有名なのは、エラ・フィッツジェラルドの名唱だ。1960年2月13日、当時の西ベルリンで開催したコンサートである。このライヴ録音は『Mack The Knife-Ella In Berlin』と題され、ジャズ・ヴォーカル史上にのこる名盤として知られている。これをきっかけに、本曲は彼女の人気レパートリーとなった。

ところが彼女は、ここで“大失敗”を演じる。あまりに長い曲のせいか、途中で歌詞を忘れてしまうのだ。しかしそこは、さすがエラ、一瞬にして「ドゥビドゥビ」スキャットでごまかし(それでもすごい名唱)、本来の歌詞にもどってキチンと歌い終えるのである。

ちなみに、この3年後、スウェーデン・ストックホルムのTV出演で、同曲をうたった映像がYOUTUBEにアップされている。これまたすごい名唱なのだが、ここでエラは、ラストで歌詞を変えている。サッチモの真似(ドゥビドゥビ)をしながら、「ルイ・アームストロングもボビー・ダーリンも、この曲を歌って、メチャクチャにしたわよね。お次はこのエラよ」。
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話があれこれ飛んで恐縮だが、あたしが忘れられない《マック・ザ・ナイフ》は、岩城宏之さんの指揮した“吹奏楽版”である。岩城さんは生涯で2回、東京佼成ウインドオーケストラ定期演奏会に登壇している。その2回目、2004年12月、紀尾井ホールにおける第83回定期演奏会。この日は、プーランク、メシアン、武満徹、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチといった近現代作曲家の管楽アンサンブル曲の特集だったのだが、トリが、クルト・ヴァイル作曲《小さな三文音楽》組曲だった。

これは、《三文オペラ》の大ファンとなった、あの“御大”オットー・クレンペラーの指示で生み出された組曲である。苦虫をかみつぶしたような顔しか見せない、あのクレンペラー先生が夢中になったほど、この音楽劇は大人気だったのだ。

ヴァイルは劇中から8曲を抜粋し、管楽オーケストラ(吹奏楽)編成にアレンジした。クレンペラー自身の指揮で、1929年に初演されている。2曲目が《メッキ・メッサーのモリタート》、《マック・ザ・ナイフ》の原曲である。

この組曲を最後にもってきた岩城さんの指揮は、実に楽しそうだった。全曲終了後、鳴りやまぬ拍手に、気を良くした岩城さんは、2曲目のみをアンコールで再度演奏した。おそらく岩城さんのなかでは、この曲は、音楽劇の《モリタート》ではなく、ジャズ・ナンバーの《マック・ザ・ナイフ》、いや《匕首マック》だったのではないだろうか。岩城さんが没したのは、この2年後だった。


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