2023.11.03 (Fri)
第430回 【映画紹介】スポーツ政治映画の傑作『タタミ』~東京国際映画祭より

▲実態はイラン映画『タタミ』。左が最優秀女優賞のザル・アミール。
第36回東京国際映画祭(TIFF2023)が終わった。本年は全部で219本が出品された。コンペティション部門は、114の国と地域から1942本の応募があったそうで、選ばれた15本が上映された。
あたしは、そのコンペ部門7本を含む計12本を観た程度なので、映画祭の全容を語ることはできない。そこで、観賞した範囲内で、忘れられない(今後日本で配給公開されたら絶対に観ていただきたい)作品を紹介する。それは——
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◆『タタミ』 Tatami 【アジアン・プレミア】
監督:ザル・アミール、ガイ・ナッティヴ/2023年/ジョージア・アメリカ
審査委員特別賞、最優秀女優賞(ザル・アミール)受賞。

長年TIFFに通っているが、こういう作品に出会ったのは、少なくともあたしは初めてだった。エンタメとアート、スポーツ、スリルとサスペンス、国際政治・宗教問題などが絶妙のバランスで同居している。興奮し、感動し、少し泣かされ、考えさせられ、心の底から「観てよかった」と感じた。本作を日本で最初に観たことを自慢したくなるような映画だった。
製作国はジョージアとアメリカの合作。だが、イラン人女性とイスラエル人男性の共同監督であり、実態は「イラン映画」である。映画史上、この2国の監督が組んだ作品は初めてとのことだ。
ちなみにジョージアは世界トップレベルの映画産業優遇国で、同国で製作すると40%の税金が還付されるシステムがあるそうだ。
よって本作の舞台はジョージアである。首都トビリシで開催中の世界柔道選手権大会。イラン代表選手とコーチの2人の女性が主人公だ。
このコーチを見事に演じたザル・アミールさんは、イラン出身の女優・映画監督(現在、フランスに亡命中)。当初、俳優としてのみの参加だったが、すぐに共同監督に迎えられた。日本では、本年4月に公開されたサスペンス『聖地には蜘蛛が巣を張る』での名演が忘れがたい(カンヌ映画祭主演女優賞受賞)。今回も最優秀女優賞を獲得した。
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さて、ストーリーは——女子柔道イラン代表のママさん選手、レイラ・ホセイニは、この日のためにすべてをかけて準備してきた。男尊女卑のイスラム社会だが、夫は子どもの面倒を見て、全面協力してくれている。コーチも全力でレイラを育ててきた。案の定、レイラは順調に勝ち進んでいく。イラン初の女子柔道金メダルが見えてきた。
だが……このまま勝ち進むと、イスラエル選手と対戦する可能性が出てきた。コーチのスマホに、イラン柔道協会の会長から電話が入る。「イスラエル選手との対戦は許されない。負傷を理由にレイラを棄権させろ」。
アラブ人がユダヤ人と身体を触れ合わせて闘うなど耐えがたい、しかもイランとイスラエルは核開発などをめぐって深刻な対立関係にある——政治的かつ宗教上の厄介ごとを避ける、イラン政府の干渉だった。
当初、コーチは抵抗するが、「大統領の指示」といわれ、仕方なくレイラを説得する。だがレイラは応じない。焦るコーチ。規定で本人の意思でないかぎり棄権はできないのだ。レイラは次々と対戦相手を打ち破り、勝ち進んでいく。イスラエル選手も勝っている。2人がぶち当たる可能性がどんどん高まる。
その間、イラン政府はレイラを棄権させるべく、恐ろしい手段をつかう。母国にいる老父を拉致・拷問し、そのナマ映像を、ファンを装って近づいた工作員がスマホでレイラに見せるのだ。泣きながら「棄権してくれ」と訴える老父。
一方、母国でTV観戦中の夫は、レイラからのスマホ電話で身の危険を察知。幼児の息子を抱きかかえ、間一髪で特高警察から逃がれ、自宅を脱出する。もはや国境を超えて亡命するしかない。国家に従わないレイラは反逆罪であり、一族郎党、すべて同罪なのだ。それでもこの夫は「絶対に棄権するな。こちらも心配するな。君はイランのヒーローなんだ」とスマホで応援する。ここで涙がにじまないひとは、人間ではない。スマホが、いかに重要なツールであるかも、うまく描かれている。
やがて状況を察知した世界柔道連盟が、レイラを守るために立ち上がる。
会場に紛れ込むイラン大使館の工作員たち。苦しみながら試合に出つづけるレイラ。ますます板挟みに追い込まれるコーチ。レイラに警備をつけて試合を続行させようと奔走する柔道連盟。母国で危険にさらされる家族たち。果たして、どうなるのか。
「タタミ」のうえで熱戦が続く裏側で、驚天動地の事態がひと知れず展開する(2019年、東京での世界選手権で発生した実話がモデル)。コーチの過去が明らかになり、いつの間にか主役がレイラからコーチになっている脚本構成も実にうまい。試合シーンも迫力満点。こうして思い出して書いているだけで、またも心臓がバクバクしてきそうだ。
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▲『タタミ』プロデューサー・出演女優のジェイミー・レイ・ニューマン(筆者撮影)。
画面は最近では珍しいモノクロ・スタンダード。プロデューサーで出演女優(柔道連盟のスタッフ役)のジェイミー・レイ・ニューマンさんによると「小さな箱に閉じ込められているような、クロストロフォビア(閉所恐怖症)的なロケーションで、人生にもまったくカラーがないというところを強調したかった。大好きな黒澤明監督のフォーマットにちょっと影響を受けているかも知れませんね」(公式インタビューより)とのことだった。
だが実際は、低予算映画につき、何千人もの観客で埋まったスタジアムを再現することはできない。そこで、狭い画角で陰影の深いモノクロ画面にすれば、客席細部まで見せなくて済む、そんな“作戦”もあったように思う。
演出は落ち着いており、音楽も和太鼓が静かに鳴り響く程度。おなじスポーツ政治映画でも『ロッキー4/炎の友情』のような派手さは皆無だ。しかしそれだけに、レイラとコーチが置かれた状況が深々と観客の内面に沁み込んできて、それゆえ手に汗握らざるをえなくなる。
すでに9月のヴェネツィア国際映画祭でブライアン賞を受賞しており、今回のTIFF2023でも東京グランプリに次ぐ「審査委員特別賞」を受賞した。
まさかこれほどの作品に配給がつかないことはないと思うが、一般公開されたら、ぜひご覧いただきたい(当事国への「忖度」が気になる。イランでは当然、上映禁止だ)。できればミニシアターではなく、TOHOシネマズあたりの大型シネコンで堂々と公開してほしい、そんな映画である。
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ほかに、東京グランプリ/東京都知事賞を受賞したのは『雪豹』(ペマ・ツェテン監督/中国)。5月に急逝したチベットの名匠の遺作である。絶滅危惧種、白い「雪豹」をめぐるドラマ。自然と人間の共生の難しさを、チベットと中国の関係なども盛り込みながら描く異色作だった。

『ゴンドラ』(ファイト・ヘルマー監督/ドイツ・ジョージア)も、ユニークでとても気持ちのよい作品だった。ジョージアのロープウェイで働く2人の女性の同性愛関係を、さわやかに楽しく描くコメディ。無言劇だが、その分、音楽が饒舌で秀逸。往年のドリフターズの大仕掛けコントを見るような面白さだった。
なお、作品名はあげないが、異常なまでの長回しで何も起きない風景をえんえん映すとか、意味不明な詩の朗読がつづくとか、演技をせず役者が立っているだけとか、あたしのような浅学にはとうてい理解できない作品に、いくつかぶち当たった。ああいうのをいわゆる「アート・フィルム」とでもいうのだろう。これほど観客に寄り添ってくれない作品がなぜ選出されたのか不思議だった。審査委員長のヴィム・ヴェンダースが「本当に素晴らしい作品を数多く見ることができましたが、セレクション全体が、同等の水準であるかどうかというのは確信できませんでした」とコメントしたのは、このことではないだろうか。
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最後に——TIFF会場がTOHOシネマズ六本木の全館貸し切りから、丸の内・日比谷・有楽町・銀座での分散開催になって4年目になるが、とにかく移動が不便で仕方がない。今回も、終映後の会見まで出席できず、あたふたと次の会場に向かうひとの姿を多く見た。せめてTOHOシネマズ日比谷とシャンテあたりに統合できないものだろうか。あまりにあちこちで開催されているので、知己と出会う機会も少なく、「国際映画祭」に参加した一体感もない。これを「FESTIVAL」と称していいのだろうか。
(一部敬称略)
◇『タタミ』レイラの試合シーンは、こちら。
◇『タタミ』コーチの説得シーンは、こちら。
◇『雪豹』予告編は、こちら。
◇『ゴンドラ』予告編は、こちら。
◇TIFF2023受賞作品と受賞者コメントは、こちら。
2023.11.01 (Wed)
第429回 【新刊紹介】”マンガ亡命”から生まれたロシアのグラフィック・ノヴェル『サバキスタン」の魅力

▲『サバキスタン』全3巻
読んでいるときは、それほどの感興はおぼえない。なのに、しばらくすると、なんとなく気になりだす。そこであらためて頁を繰ると「なかなかいいなあ」と気づく。そんなマンガをご紹介したい。
8月から3カ月かけて刊行された“マンガ”『サバキスタン』全3巻(ビタリー・テルレツキー作、カティア画/鈴木佑也訳/トゥーヴァージンズ刊)は、まさにそんな、不思議な味わいのある書物だった。
これはロシアのマンガである(正確には“マンガ”ではないのだが、これに関しては後述する)。
サンクトペテルブルクのテルレツキー氏(原作)とカティア嬢(画)による本作は、3年かけて制作され、「コミコン・ロシア2019」で販売すると、たちまち完売。以後、増刷がつづく人気作となった。しかし、折悪しくロシアのウクライナ侵攻が始まる。同時に言論表現の締め付けも強化されるようになった。そこで2022年3月にロシアを出国。マンガ大国・日本へ逃れてきた。いわば“マンガ亡命”である。同年暮れの「東京コミコン」に出展したところ、関係者の目にとまる。最終部分は、日本で制作されたという。
そして、日本の出版社「トゥーヴァージンズ」のコミック・レーベル「路草」から配信で発表され、評判となり、ついに紙で書籍化されたというわけだ。
余談だが、同社はたいへんユニークな出版社で、興味のある方は文末リンクからHPを参照あれ。ジョン・レノンとオノ・ヨーコによる社名と同じ超問題アルバムがあるが、特に“ああいう傾向”はないようなので、ご安心を。
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で、その『サバキスタン』だが、まずタイトルが不思議である。あたしなど、つい“鯖の味噌煮”を想像してしまったのだが、もちろんそうではなく、ロシア語の「犬」(サバーカ)と、「国」(スタン)の合成語で、「犬の国」。「スタン」はペルシャ語が原典だそうで、「パキスタン」「カザフスタン」などと同じ。
つまりこのマンガは、“犬の国”の物語なのだ。近隣にはカメレオンの国もあるほか、迫害されている少数民族「ヴォルク(狼)族」も登場する。
問題はここからで、このサバキスタン国では独裁者「同志相棒」がすべてを統治しており、すでに50年以上、鎖国状態である。どうやら、かつてのソ連や北朝鮮あたりをモデルにした反独裁マンガのようである。この国で、突然、国家イベントである「同志相棒」の葬儀リハーサルを国外に向けて公開することになった。世界中からジャーナリストや国家元首が招かれる——物語はこんな状況から始まる。
意表を突く出だしであり、凡百の反独裁マンガではないことが、すぐにわかる。オールカラーのポップな絵柄も見事だ。いかにも女性らしい、繊細で愛らしいタッチは何度見ても飽きない。各コマが1枚のイラストとして完成している。キャラクターが「犬」なので、人間ほど喜怒哀楽の表情をしない。性別もすぐにはわかりにくい。そこがまた、本心を明かさずに生活しているサバキスタン国民の空気を醸し出すことに、成功している。
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だが本作のほんとうの面白さは、全3巻の「構成」にある。
第1巻は、上述したように「同志相棒」の葬儀リハーサル公開をめぐって発生した「事件」が描かれる。後半で「最高司令官」の素性が判明し、ある“行為”に走るシーンでは、背筋を何かが走る。第1巻ラストは、サバキスタン国の命運にかかわる衝撃的なシーンで終わる。もう我慢できない。すぐに第2巻を読まずにはいられなくなる。実にうまい構成である。
ところが! 第2巻は、その続きではないのだ。数十年後、民主国家になったサバキスタンが舞台で、次の世代の話になっているのである。登場人物(犬)も、ガラリと変わる。あの第1巻ラストのあとは、どうなったのか、何の説明もない。にもかかわらず、読んでいるうちに、次第に、この数十年の間に何があったのか、そして、いまの民主国家体制は本物なのかが、ジワジワとわかってくる(というよりは、読者が想像をめぐらして判断するのだが)。そして第2巻の最後は……さらに第3巻は……。
先に、本作は「正確には“マンガ”ではない」と書いた理由が、ここにある。本作は、“グラフィック・ノヴェル”なのである。無理に訳すと“小説風マンガ”とでもなるか。我々日本人が読みなれている“マンガ”とちがって、“絵物語”に近い。細かい描写や字幕・セリフなどの文字要素も最低限である。よって慣れていない読者には、あまりに変化がないので、つまらないであろう。だが、小説好きなら、活字で描かれたシーンを脳内でヴィジュアル再生するクセがついているはずだ。コマとコマの間で起きているはずの出来事や、省略されているキャラクターの動きや音を想像しながら読めると思う。
その「コマ間」を読む面白さが、本作では抜群の効果を生んでいる。翻訳も最低限の直訳なので、あたしたちは行間=コマ間を探るような知的な読書を体験することになる(翻訳の鈴木佑也氏は、新潟国際情報大学准教授。ロシア・ソ連の建築・美術史、表象文化論が専門)。
結局、3巻を通読すると、ソ連~ロシア近現代史を再現しているような感覚を覚える。そしてそれが、現在のロシアの状況を奇しくも先取りしていたことに驚く。
動物世界に仮託した反独裁ストーリーといえば、ジョージ・オーウェルの『動物農場』が有名だ(石ノ森章太郎による見事なマンガ化がある。リンク文末)。スターリン時代のウクライナ搾取をモデルにしたリアルな設定だったが、こちらはもっと壮大な視点で描かれている。ある意味、オーウェルよりも文学的かもしれない。
オールカラー3巻なので、書籍だと相応の価格になる(税別1,800円×3巻)。だがそれでも、カラーインクの独特な匂いがあふれてくるとてもいい本で、名作を「紙で所有」する良さを体感できる。ブックデザイン(森啓太)も素晴らしい。
版元は、かなりの部分をネット上で無料公開してくれている。ぜひ多くの方に読んでほしい。そして、“マンガ亡命”から誕生した、この知的な“グラフィック・ノヴェル”の面白さに触れていただきたい。
(一部敬称略)
◇版元「トゥーヴァージンズ」の『サバキスタン』HPは、こちら。かなりの分量を試し読みできます。
◇「トゥーヴァージンズ」オンライン・ショップは、こちら。
◇以前に『動物農場』について、書きました。こちら。
2023.10.30 (Mon)
第428回 【コンサート告知】 ロシアとウクライナの幸福な関係~パシフィル名曲コンサート

▲日本で初めて公開されたウクライナのアニメーション映画
9月22日に公開され、小規模ながらいまでもロングランをつづけている(10月30日現在)アニメーション映画がある。『ストールンプリンセス キーウの王女とルスラン』(オレ・マラムシュ監督/2018年、ウクライナ)。日本で初めて公開されたウクライナのアニメーション作品である。
制作はウクライナのアニメーション・スタジオ「アニマグラード」で、ここはもともとTVアニメの製作会社だった。2018年製作の本作が、初めての劇場用長編アニメーションだという。
本作が日本公開に至る過程は、すでに報道などでご存じの方も多いと思う。都内の映画配給会社に勤務していた女性、粉川なつみさん(27)が本作に惚れこみ、ウクライナの支援になればと一念発起して退職し、自ら配給会社を設立。全財産を注ぎ込み、クラウドファウンディングの助けも得て、1年をかけて買いつけた。幸いKADOKAWAが共同配給に乗り出してくれて、日本での一般公開となった。
もともとウクライナは世界的な映画人を多く輩出してきたエリアである。長年、ソ連の構成国だったので、一般には「ロシア/ソ連映画」として認識されてきたものの、実際には「ウクライナ映画」ともいうべき作品も多い。たとえば名作『誓いの休暇』(1959)や、『女狙撃兵マリュートカ』(1956)、『君たちのことはわすれない』(1977)などのグリゴーリ・チュフライ監督(1921~2001)はウクライナ生まれである。
エイゼンシュテイン、プドフキンとともに「ソ連映画界3大巨匠」の1人と称されたオレクサンドル・ドヴジェンコ監督(1894~1956)もウクライナ人だ。彼の名作無声映画『大地』(1930)は、『ズヴェニゴーラ』(1928)、『武器庫』(1929)とともに「ウクライナ三部作」と称されている。
上述のアニメ『ストールンプリンセス』は、プーシキンの物語詩『ルスランとリュドミラ』が原作である。魔術師によって拉致されたキエフ大公国(現在のウクライナ一帯)のリュドミラ姫を、騎士ルスランが救出して結ばれるまでの冒険ファンタジーだ。絵柄や全体構成はディズニーの影響が感じられるが、意外とプーシキンの原作に忠実で、登場キャラクターも独特な面白さがあった。この物語はグリンカ作曲のオペラ化のほうが有名だろう。全編にロシア特有の民族音楽的な旋律が使われており、グリンカは、前作《皇帝に捧げし命》と本作とで、“ロシア近代音楽の父”として名声を確立した。
かようにロシアとウクライナは、少なくとも芸術のうえでは、たいへん幸福な関係にあったのである。ボロディンの歌劇《イーゴリ公》もキエフ大公国が舞台である。そのほか、ピアニストでいうとホロヴィッツ、ギレリス、リヒテル。ヴァイオリニストではミルシテイン、オイストラフ、スターン、コーガン、シトコヴェツキ。これみんな、むかしは「ソ連/ロシアの音楽家」で一括りにされていたが、実は「ウクライナ出身」である。
だが、「ロシアとウクライナの幸福な関係」といえば、なんといっても、チャイコフスキーにとどめを刺す。彼は祖父の代まで姓は「チャイカ」だった。ウクライナでは一般的な名前で(日本の「佐藤」「鈴木」のような感じ?)、いまでも「チャイカ空港」「チャイカ航空」などがある。ロシアの時計やカメラにも同名製品がある。高田馬場にある老舗ロシア料理店の名前も「チャイカ」だ。意味は「かもめ」。女性初の宇宙飛行士テレシコワのコール・サイン「ヤー・チャイカ」(私はかもめ)は、チェーホフの戯曲『かもめ』からの引用だった。
チャイコフスキーの先祖「チャイカ」家はウクライナのコサック兵士の一族で、戦功で貴族っぽい名前「チャイコフスキー」への改姓を許された。彼の交響曲第2番ハ短調には《小ロシア》なる副題が付いている。この「小ロシア」とはウクライナのことである(ただし、これは「上から目線」の呼び方で、当のウクライナの人たちにすれば「侮蔑的な呼称」である)。全編にウクライナ民謡が使用されており、ほとんど「ウクライナ賛歌」のような曲である。

11月1日に開催される、パシフィックフィルハーモニア東京(旧「東京ニューシティ管弦楽団」)の第2回名曲シリーズはロシア名曲特集だが、期せずして、この「ロシアとウクライナの幸福な関係」を考えさせられる名曲が多く取り上げられる。先述のグリンカ:歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲、ボロディン:交響詩《中央アジアの草原にて》、歌劇《イーゴリ公》~〈ポロヴェツ人の踊り〉。そして、ウクライナ系のチャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調。ちなみにこの第4番は、同性愛者だったチャイコフスキーが無理に女性と結婚してしまったため、苦悩に襲われる、そこからの脱却を音楽にした作品である。
指揮はベテラン、汐澤安彦。東京佼成ウインドオーケストラ初代常任指揮者として、日本の吹奏楽界を開拓してきた大功労者でもある。機会があればぜひお聴きいただきたい。ウクライナ戦争はいまだ終息を見出せないようだが、せめてこのひとときだけは、本来の「ロシアとウクライナの幸福な関係」に思いを馳せたいものだ。
(敬称略)
◇パシフィックフィルハーモニア東京:第2回名曲シリーズ(指揮:汐澤安彦)は、こちら。
2023年11月1日(水)19:00/東京芸術劇場 コンサートホール
※プログラムの楽曲解説を執筆しました。
◇『ストールンプリンセス キーウの王女とルスラン』は、こちら。
2023.10.24 (Tue)
第427回 【演劇】なぜ国立劇場を建て替えるのか

▲正倉院の校倉造を模した、国立劇場の独特な外観(筆者撮影)
国立劇場が今月いっぱいで閉場する。
あたしは、文楽(小劇場)が多かったが、それでも歌舞伎(大劇場)、女流義太夫(演芸場)、さらには小さいながらも充実していた伝統芸能情報館(記録映像の上映室は、実に面白かった!)などに40数年通ったことになる。取材や見学で、研修所や事務所などの“舞台裏”にも、何度かおじゃました。
正倉院の校倉造〔あぜくらづくり〕を模した、あの独特な建物に近づくと、少しばかり凛とした心持になったものだ。
音羽屋公演では、いつもロビー隅に富司純子さんが見事な着物姿でおられて、映画マニアのあたしなど思わず「お竜さん!」と“大向こう”したくなった。
閉場にあたっての「思い出エッセイ」に応募したら採用され、大劇場ロビーに掲出されたのも、いい思い出だ。初代玉男、文雀、蓑助、住太夫……名人たちの舞台も脳裏に浮かぶ。
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閉場の理由は、老朽化だそうである。1966年11月開場なので、満57年になる。このような立派な建築物が「50年超」で「老朽化」するものなのか、あたしはよくわからない(建て替え構想の発表は2014年で、この時点では「築47年」だった)。
だが、ちょっと気になることがある。国立劇場より古いのに、そのまま(もちろん一部修復などで)使用されている公共建築物は、いくらでもある。たとえば、東京国立博物館本館(1938年開館/重要文化財)と表慶館(1909年開館/重要文化財)、国立西洋美術館(1959年開館/世界文化遺産)、東京文化会館(1961年開館)……京都と奈良の国立博物館も明治時代の建築物のはずだ。
文化庁では、築50年以上を経た建築物を「登録有形文化財」として保護する事業を進めている。登録されれば、相続税や固定資産税なども軽減される。要するに「50年以上経った建築物はなるべく残し、地域の文化資産として生かせ」というわけだ。あたしの身近では、神楽坂の「矢来能楽堂」や、日本最古のビヤホール「銀座ライオンビル」などが「登録有形文化財」である。
国立劇場は巨大演劇施設なのだから、それら文化財と同列に論じられないことは、わかる。しかし、こんなに多くの、50年超の建築物ががんばっているのに、ほんとうに国立劇場は、たった「57年」で建て替えなければならないほどボロボロなのだろうか。
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あたしは素人なりに、建て替えには2つの、別の理由があるような気がしている。一つは、国立劇場の「使命」の終焉である(ほかに育成・研修所の使命があるが、もちろんこれは今後も続けるべき事業であり、いまは詳述しない)。
国立劇場は開場にあたって「通し上演」「復活狂言」をモットーに掲げた(10月最終公演のプログラムに、作家で国立劇場評議員もつとめた竹田真砂子さんが、詳細な回想随筆を寄稿している)。
歌舞伎は、松竹の興行となってから、名場面だけをダイジェスト上演する「見取り」が中心となった。だが本来、歌舞伎は(特に院本物となれば)長時間演劇である。そこで国立劇場は、オリジナルに返って、可能な限り全編を上演する「通し上演」で松竹に“対抗”した。いわば江戸時代の歌舞伎に近い姿を伝えてきたのである。たとえば今回の歌舞伎のさよなら公演は『妹背山女庭訓』全五段の通し上演だったし、文楽は『菅原伝授手習鑑』の通しだった。
だが、「通し上演」で復活・復元するべき、それでいて現代に通じる狂言は、ほぼ出尽くしたのではないだろうか。毎年正月は、菊五郎劇団による楽しい復活狂言で、「こんな芝居があったのか」と驚かされてきた。だが、これとて現代向けに大幅改訂された、ほぼ新作といっていい内容である。
しかし「通し上演の復活は終わった」としても、そもそも名作であれば、何度おなじ演目を繰り返したっていいはずだ。あるいは、新しい興行形式を探ってもいいのではないか。菊五郎劇団をさらに進めて、いっそ新作中心にしてもいいし、もっと安い値段と短時間で、松竹よりも徹底した見取り興行にしたっていいと思うのである。
そして建物が「老朽化」したというのであれば、ほかの歴史的建造物とおなじように、修復しながら使えばいいのである。東日本大震災後、多くの建物が耐震構造の不備を指摘され、大規模修繕や閉鎖に至った。だが国立劇場は、そのまま開いているのだから、その点は大丈夫なはずだ。
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国立劇場を運営する日本芸術文化振興会が発表している資料に、《国立劇場本館の建築史的評価》がある。東京工業大学の藤岡洋保・名誉教授がまとめたものだが、こんなに面白くて感動的な学術レポートは、まずない。PDFでネット公開されているので、ぜひお読みいただきたい。この建物が、いかに「建築史」的に重要であったかが、わかりやすく綴られている。【リンクは文末に】
特に、設計中心者・岩本博行氏(竹中工務店大阪本店設計部)が、奈良の正倉院に何度も通い、校倉造を研究したとの記述には心を打たれる。さらに外壁にサンドブラスト(吹付け)をかけて黒褐色にし、古木の味わいを出したのは、いま見ても「なるほど!」と相槌を打ちたくなるアイディアだ。

▲全体に黒褐色のサンドブラストが(筆者撮影)
岩本氏の談話「(現代建築に対し)古典の様式のほうが勝つと思うのです。校倉という様式にはモダンがあると思うのです。だからそのまま現代建築に再現していってもモダンが表現できると思いました」も採録されている。
これを読んでいると、「そんなに重要で素晴らしい建物なら、なぜ残そうとしないのか」といいたくなること必定である。
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だがそれでも、国立劇場はなんとしても建て替えなければならないらしい。しかも二代目国立劇場は、ホテルやレストランと一緒になるという。実は、これこそが第二の、そして最大の建て替え理由だとしか思えないのだ。
振興会が発表した《国立劇場再整備基本計画》や報道などによると、建て替え後は最高74mのビルになる。現在、日比谷シャンテが72m、朝日新聞東京本社が71mなので、おおむねあんな感じのビルが、皇居をのぞむ半蔵門の斜め前、最高裁判所の真横に建つのである。そのなかはレストラン、カフェ、ショッピング・モールとなり、PFI(民間資金活用事業)の導入でホテルも併設、低層階に二代目国立劇場が入る。正面入り口前は「賑わいスペース」と称する広場になる。【基本計画リンクは文末に】
これが外国人観光客目当てであることは、いうまでもない。宿泊・食事・買い物・カブキをワンセットで、国が売り出すのだ。《基本計画》のなかでも「文化観光拠点としての機能強化」「インバウンド層の観光需要を取り込み」とはっきり記されている。つまり建て替えの理由は、「使命の終焉」「老朽化」もさることながら、実は、新たな観光拠点を都心の一等地につくることにあったのである。
あたしは不勉強で知らないのだが「ナショナル・シアター」がホテルやレストランなどの“雑居ビル”の一部に入っている国が、世界のどこかにあるのだろうか。
もっとも、再開発業者の選定は、いままで二度の落札でも成立していない。再開場は「遅くとも2029年度を目指す」とされているが、これも遅れるであろう。
余談だが、これらを推進しているのは、近年、芸術祭賞・映画賞、メディア芸術祭などを続々と廃止して京都に移転していった文化庁である。現在の長官は、ピンク・レディーで一世を風靡した作曲家の都倉俊一だ。
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先のレポートの最終部分に、こんな文章がある。
《岩本は景観に配慮する建築家で、国立劇場では、モノトーンで統一していることや、高さを抑えているあたりにそれが見てとれる。人目を惹くものではなく、景観に参加する建築というのが、彼が目指した建物のあり方だった。》
岩本博行氏は、竹中工務店常務をつとめ、1991年に77歳で逝去している。国立劇場が74mの“雑居ビル”になった姿を見ずに逝ったわけだ。それを知ってホッとするのは、あたしだけだろうか。
(一部敬称略)

▲永田町駅から行くと必ず通る「地下道」(筆者撮影)
◇《国立劇場本館の建築史的評価》は、こちら。
◇《国立劇場再整備基本計画》は、こちら。
2023.10.21 (Sat)
第426回 【演劇】長崎の敵を「文藝春秋」で討った? 文学座『逃げろ! 芥川』

▲文学座公演『逃げろ! 芥川』(詳細、文末に)
映画のジャンルに「ロード・ムービー」がある。「旅」は、途中でなにが起きるか予想がつかず、しかもその大半が未体験トラブルだ。ゆえにドラマにしやすいせいか、傑作が多い。『オズの魔法使い』『道』『イージー・ライダー』『俺たちに明日はない』『パリ、テキサス』『スタンド・バイ・ミー』『2001年宇宙の旅』……。
あたしの好きな3大ロード・ムービーは、『有りがたうさん』(清水宏監督/1936年)、『少年、機関車に乗る』(フドイナザーロフ監督/タジキスタン、1991年)、『長い旅』(フェルーキ監督/フランス=モロッコほか、2004年)。機会があれば、ぜひご覧いただきたい。
10月27日から上演される、文学座公演『逃げろ!芥川』(畑澤聖悟作、西川信廣演出)も、一種の「旅」もので、強いていうと「鉄道旅行芝居」である。あたしは、公演パンフレットに解説エッセイを寄稿した関係で、事前に台本を拝読したのだが、これがなかなか面白い芝居なので、ご紹介しておきたい。
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1919(大正8)年5月、芥川龍之介と菊池寛は、親友同士、取材と遊びをかねて長崎へ旅行に出かける。大流行したスペイン風邪の余波から逃れる意味もあった。すでに芥川は『羅生門』『地獄変』などを、菊池は『父帰る』『恩讐の彼方に』などを書いており、相応の人気作家である(ただし菊池はまだ「文藝春秋」は始めていない)。
いまなら羽田~長崎は航空便で2時間だ。だが大正時代は、そうはいかない。この長い鉄道旅行中、車中にさまざまな「女性」が乗り込んでくる。彼女たちは、みな、芥川に関係のある実在女性のようで、かつ、彼の作中人物のようでもある。芥川は、彼女たちから「逃れる」ために、この旅に出たはずだった。果たして彼は、夢とも幻影ともつかない彼女たちから、逃れることができるのか。
作者・畑澤聖悟は、青森県立青森中央高校の演劇部顧問。全国高等学校演劇大会(夏の大会)で最優秀賞を何度も受賞しているほか、春季全国高等学校演劇研究大会にも出場している “演劇強豪校”の指導者である(高校演劇にも、甲子園なみに春夏の全国大会があるのだ!)。その一方、青森で劇団「渡辺源四郎商店」を主宰するほか、プロ劇団のための書下ろしも多い。あたしも劇団民藝や劇団昴で、同氏の作品をいくつか観てきた。今回は、初の文学座への書下ろしだという。
ところで、この旅は、人気作家2人による当時としては珍しい大旅行だったので、マスコミでも話題となった。よって、いくつかの余話がある。そのひとつを……。
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菊池寛と芥川龍之介は親友同士だったが、久米正雄も、彼らと一高時代からの“文学仲間”である。いまではほとんど読まれない作家だが、芥川とおなじ漱石門下で、菊池たちと「新思潮」を創刊した仲だった。最近よく使われる言葉「微苦笑」を創始したひとである。
その久米が、大正8年5月18日付の大阪毎日新聞に、こんな文を寄稿している。
《親愛なる菊池君。君が長崎へ発つ時、呉々も病後の夜の外出を警〔いまし〕めて呉れたに係わらず、僕は帝劇の梅芳蘭〔メイ・ランファン〕を、替り目毎に五回見て了〔しま〕った。初日の晩などは帰ってから、熱を測って見たら三四分上っていた。》(『麗人梅蘭芳』)

▲1957年、北京にて。左から毛沢東、ヴォロシーロフ国防大臣(ソ連)。右が梅蘭芳。【出典:Wikimedia Commons】
梅蘭芳(1894~1961)は、京劇の女形大スターで、このときが初来日だった。その人気はたいへんなもので、久米自身も《近来にない佳いものだった。》《云いようのない芸術的美感を私に與〔あた〕えた。》と、えんえんと絶賛を書き連ねている。楽屋で当人にも会ったようだ。そして、
《返す返すも君や芥川君の是を見なかったのが惜い。長崎なぞは何時でも行って見られるではないか。》
とまで述べている。よほどこの美貌の女形に感動したようだが、行間からは「なぜ、俺も長崎へ連れて行ってくれなかったのか」との悔し紛れも若干伝わってくるようだ。
だがこの時点で、久米は、長崎には行けなかったが、京劇に関しては芥川より自分のほうがずっと詳しい“通”になったと思っただろう。実際、この2人は一高時代から、一緒に連日の劇場通いをするほどの芝居好きだった。
ところが、後の大正10年、芥川は大阪毎日新聞の特派員として、中国に約3か月間、派遣される。そこで60余の京劇舞台を観て、役者や関係者と接するのである。そして見事にその特色をつかみ、「派手な鳴物」「質素な舞台装置」「豊富な隈取り」などを挙げ、「背景は無地のほうがいい」などいくつかの改良案まで提示するのである(『上海游記』ほか)。
それどころか、大正13年、梅蘭芳の二度目の来日公演に駆けつけ、本人との座談会にも出席し、その感想を、菊池が創刊した「文藝春秋」誌上で、こう述べるのだ。
《男の女を猟するのではない。女の男を猟するのである。――ショウは「人と超人と」の中にこの事実を戯曲化した。しかしこれを戯曲化したものは必しもショウにはじまるのではない。わたくしは梅蘭芳の「虹霓関」を見、支那にも既にこの事実に注目した戯曲家のあるのを知った。》(『侏儒の言葉』より/大正14年2月号)
要するにバーナード・ショーが『人と超人』で描いた「女が男を追いつめる」話など、とっくのむかしに京劇で描かれていたというのである。これは、大衆芸能としか見られていなかった京劇を、日本人が文学戯曲として考察した最初の論考だといわれている。
久米は、随筆『芥川龍之介氏の印象』で、こう書いている。
《昔は僕も、ちょくちょく演劇や絵画の点で彼を啓発してやっていた。そして彼の知らぬものの名ぐらいは教えてやりもしたことがある。が、しばらくすると彼はいつの間にかそれらをマスタアして、僕のほうへ逆輸入をするほどにエラくなっている。これが僕等を追い越す彼の不断の勉強である。》(「新潮」大正6年10月号)
芥川は、梅蘭芳の初来日を観られなかった、いわば「長崎の“敵”〔かたき〕」を、「文藝春秋」で討って、たしかに久米を追い越したのである。
(敬称略)
◆文学座公演 『 逃げろ!芥川 』(畑澤聖悟作、西川信廣演出)
2023年10月27日(金)~11月4日(土)、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
詳細は、こちら。
※不詳、公演パンフレットに解説エッセイを寄稿したので、ご笑覧ください。